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2004.05.11

なぜか文末表現

『池上彰の情報力』を読んでいて、なぜかお説教をされている感じがした。
『こどもニュース』で子どもたちが説明を聞いているように、自分がテレビの子ども役になっている感じもした。
なぜそう感じたのだろうか。
読者に呼びかけている部分が多いということが大きな理由だ。しかし、それだけではないはずだ。
そこで、文末表現を比べてみた。といってもワープロソフトの文書分析機能などを使った厳密なものではなく、ぱっと感じた印象だけど。
比べた本は『池上彰の情報力』、『他人の10倍仕事をこなす私の習慣』和田秀樹(PHP)、『ぼくはこんな本を読んできた』立花隆(文藝春秋)の3冊。

【池上本】
文末表現は敬体。次のような表現に「説教調」を感じた。
「~するのです」「~すべきでしょう」「みなさんも、つかんでほしいのです」「~をもってほしいと思っています」「懐疑心を働かせてほしいのです」「眉につばをつけて読みましょう」「~は、とても役立つはずです」

【和田本】
文末表現は常体。同じように読者に呼びかけている表現は次の通り。
「それを言い訳にしてはいけない」「セミナーの機会くらいは見つけられるはずだ」「まずは自分から探してみたほうがいい」「自分が何に強いのかを知っておく必要がある」

【立花本】
この本は、講演記録、対談、論文などさまざまなジャンルの文が集録されているので上二冊とジャンルが類似した論文から読者に呼びかけていると判断した箇所は次の通り。
「語学に関していえば、集中的にやったほうがよい」~「体験的独学の方法」
「できるだけ厳しい先生についたほうがよい」~「体験的独学の方法」
「精読する必要はない。ノートもとらないほうがよい」~「体験的独学の方法」

敬体の池上本に比べ、和田本、立花本は断定調だ。だから納得できないところがあっても、それは筆者の考えだから、とおさめることができる。人は人、自分は自分という開き直りが可能だ。だから押しつけがましさ、説教調は感じない。

私がこの手の本を読むときは、とうてい自分にはまねができない、時には想像すらできない世界を知りたいといった気で読むので、池上本のような書き方があると「勧められてもな~(できないよ~)」という気がおきてくるのだろう。

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 今日は立花隆さんの誕生日です。立花隆さんはその博識ぶりもさることながら、立花隆批判本の多さからもそのすごさが分かりますよね。  ところで全然関係ないんですが、... [続きを読む]

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