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2004.06.27

フロンティアスクール

学力向上フロンティアスクール研究発表会@野上小学校に参加。

以下、問題意識というより覚え書き。
①「確かな学力」と「基礎学力」は違う。
ならば、自分の学級の子たちの今の状態で欠けている国語科の「確かな学力」「基礎学力」はなにかを明確にしておく必要がある。
②それを補うための指導は、今の日々の授業方法で良いのかどうかということにもっと自覚的にならなければだめだ。
③例示された
発展的な学習や補充的な学習など個に応じた指導のための教材の開発
個に応じた指導のための指導方法・指導体制の工夫改善
児童生徒の学力の評価を生かした指導の改善
のどれを問題提起できるのか。

以下、講師の加藤明氏の心に残った言葉
・その時間内でできるようにするのが原則
・算数の学力を向上させるための指導力を教師は身につけなければならない
・本単元が終わるまでなにを力としてつけなければならないかを明確に持っておく必要がある。
・どの力が足りないか分からないような荒い授業をしていてはいけない。
・算数は「いろんな考え方でできますね」で終わってはいけない。なぜならその後の学習内容の系統に響くから。「ここはこう考えないとだめ」というのが算数にはある。
今日の四角形の内角の和を求める問題でも、いろいろな方法が出された。しかし、三角形がいくつ、つまり「180度×いくつ」を子どもたちが使うようにしなければならない。
・誤答傾向を見て「こういう間違いを集中させる指導を自分たちがしてきたのだ」と考えなければならない。
・子供はある理屈で間違いを起こしている。その理屈(傾向)を把握することが大事。
・「分かる」「できるが」増えないと「関心・意欲」というものは高まらない。
・子供は身のほど知らずに成長している。だから教師も成長し続けなければいけない。

こういう話を繰り返し聞かなければ私は弛んでしまう。12月の自分の番まで自覚的に生きましょう。

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2004.06.25

水曜日

1限は算数。平行線に交わる直線がつくった角度を求める練習。2限は国語。「海にねむる未来」を3つに分けるという課題。これはこの前から続いているのでほどなく終わった。問題提示、例示、結論に分けられた。さらに、事例が載っている②~⑫を二つのグループに分けるという課題を出した。多くの子が、実用化されていないもの(②~⑨)と実用化されているもの(⑩~⑫)というくくりで分けた。3人が、抽出すべきものが分かっていないサメ(②~⑤)と、分かっているのもの海綿とカブトガニ(⑥~⑫)で分けた。これは予想しなかった考え方なので誉めた。
3限は道徳。「あなたは『普通』と呼ばれたいか」。この授業は「『普通の両親に育てられた普通の女の子が…』を考える」に続いての授業。子ども達はよく考えて自分なりの考えを出す。しかし、私の切りかえしが弱い。だから子ども達の考えを深められないもどかしさがある。4限は音楽専科の授業。この時間を利用して午後の会議のプリント印刷と綴じ。

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2004.06.23

全滅のおそれ

ペットボトルで個人飼育させてる以外に大きな水槽にメダカを飼っていた。
金曜日には確か10匹近くはいたはずだが、昨日見ると1匹しかいない。
???
どうやら、このまえ川からとった水草にトンボが卵を産み付けてあったらしく、ヤゴが孵化したようだ。そのヤゴがメダカをえさにしたもようだ。と、これは学級の子どもの説だ。たしかに数人が探すと「ハグロトンボ」のヤゴが10匹近くいた。
はたして本当にこのヤゴたちがメダカを食べたのであろうか。

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2004.06.22

『素晴らしき自転車の旅』

『素晴らしき自転車の旅 サイクルツーリングのすすめ』 白鳥和也 平凡社新書

表のページのBooks「01」に載せた『行かずに死ねるか!』は、冒険小説だ。もしくは、映画やテレビの世界だ。つまり私の日常ではあり得ない世界を描いている。しかしこの本はごく近所をまわるポタリングなどの話が載っている。私にとってはかなり現実的だ。
「いずれにしても、自転車の旅とは、視覚、聴覚に代表される五感や、平衡感覚など、要するに感受性を全開にして味わうことのできる旅であって、そこがまた、最大の魅力のひとつなのであることに誰しも異論はないだろう。長い間、自転車に乗っていなかった人がサイクリングの世界に帰ってきたとき、ほとんどの人がこういう。『なんだか、少年時代に戻ったみたいだね』と」。p20
そうなのだ。小さい頃に自転車をようやく買ってもらい、それに乗れたことによって一気に世界が広がった経験を彷彿させるのだ。「ジテンシャ」というものは。
「だが違うのである。まったく質的に違うのである。たとえ途中で押したにせよ、自転車で、自らの身体を使ってそこに辿り着いて眺めた風景は、アクセルを踏んで手に入れた眺めと全然異なるのだ。風の匂いも、その丘の高さも、陽射しの輝きも」p22
これは私が経験した御坊市ポタリングと重なる。
第7章の「快適な旅のノウハウ」は、高校生の頃の自分が読めばバイブルになっただろうというくらいの情報量がある。(戻りたいっ)
さらに。
やはりこういう世界はあるのだと思わされるのが、p194「『自転車の乗り方』を教わったことがありますか」のところ。
プロであるならば、どういう問いにどう答えなければならないか、ということがどの世界でもあるのだということが記されている。

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2004.06.21

『齋藤孝の相手を伸ばす!教え力』

『齋藤孝の相手を伸ばす!教え力』齋藤孝 宝島社

なんと読むのだろう。「おしえりょく」か「おしえちから」か、それとも「おしえか?」?不思議な日本語だ。
一気に読めて元気は出るが総花的だ。ぐっと身につまされるものはない。
参考になった箇所が3点ほど。

①できるようになると、教えた側も教えられた側も幸福感が生まれる p18
そうですよね。これは体育の器械運動などで顕著に体感できますねー。そして器械運動以外のことでも「できるようになったときのうれしさ」を味わわせたくて毎日仕事してるのです。
でも学年が進むにつれて目に見える「できるようになる」ことが少なくて…。

②教える側はハイテンションが基本 p165
反省します。1学期も中頃になってくるとついつい素の自分を出してしまい、テンションが下がっていることがよくあります。私のテンションが下がればそりゃあ面白くないわな。
飲んでるときのようにハイテンションで行こう! 飲ませよなー(爆)。

③自立とは「自分で自分を伸ばす力」がついた状態 p202
教育の最終目標は自立できる人間を育てることだという言葉をよく聞く。しかし、いったい自立って何なんよーという曖昧さが残る。筆者の定義は、自分で自分を伸ばす力がついた状態だという。この定義は魅力的だ。

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2004.06.12

孵化ラッシュ

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グッドタイミングというかギリギリで間に合ったというか、ペットボトルメダカが卵を産み始めた。
一番早かったのは自分の家から持ってきた○○くんのクロメダカ。その後、7日に配ったヒメダカにも卵を産み始めた。
○○くんの卵が10日に孵化した。もちろん彼は大喜びだ。この単元は彼のために用意されたようなものだから、ここで調子づいてくれなきゃ…。

生まれたばかりの子メダカをペトリ皿に入れて全員に見せた。
「うわー、ちっさー」「こんなに小さいんや」「すきとおってる」「キラキラしてる」「かわいー」と、やはり本物は偉大(!)だ。この後、自分のメダカも卵をつけてないか真剣に観察する子があった。

メダカよりも先に生まれたのがいる。定点観測の川の水草に卵がついていたらしい。アメンボウだ。2人の子のペットボトルの中で9日に生まれた。成長は早く、もう外に出て行きたがってる。【コップの右縁を登ろうとしている黒いゴミみたいなのがアメンボウの赤ちゃん】
ペットボトルでメダカを育てるのはここを参考にした。

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2004.06.09

発言力②~聞き返し

今日の会議中にふっと思ったことなんだけど…。
このごろ子どもたちの「もう1回言って」という言葉を聞くことが4月に比べて明らかに少なくなっている。
まえは「もう1回言って」という言葉をもっと耳にした。
ということに気づいた。

つまりこれは、
子どもたちがそんなに真剣に聞かなくてもすむ状況を私が作っているということだ。
やばい。

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2004.06.07

教科書どおりにはいかない

ペットボトルでメダカを飼おうということを言ってあった。
ひとり2匹。オスとメスのメダカを飼って、卵を育てられればいいね、などと言ってあった。そのための2リットルのペットボトルと水草も用意ができていた。←ここまでは先週の活動(これはインテリアとしてもなかなかスグレもので、水草を入れたペットボトルを見ているとなんだか涼しくなってくる。癒される、かも)。

そして、今日、60匹のメダカを持って行った。
私:「2匹ずつ、入れようか」
子:「そんなー、オス、メスが分からん」
子:「ぼく知ってるでー」と言いながら黒板に絵を描き始める。
「せびれが…で、しりびれが…」と黒板で説明する。黒板に絵を描いた子が2人。「教科書に載ってるでー」と叫ぶ子1人。
私:「ま、それを参考に2匹ずつ入れよう」

そして一人ずつ自分のペットボトルに入れ始めた。
こういう場面の子どもの現れ方は、おおざっぱに言って二つに別れる。
あくまでもオス&メスを入れたい子とそれにこだわらない子だ。
えてしてこだわらないのは、メダカのオス&メスの区別を知っている子だ。
先ほど知っていると言った2人が、奇しくも同じことを言った。
「このメダカ、せびれがないし…」「ま、オス、メス、どっちでもいいか」と。

メダカは水から出されると、その背びれは凛々しくは立たない。ペタンとねてしまう。(私の髪のように)だから、子どもは「せびれがない」と言う。だから、オスかメスかを見分けるのが難しい。教科書の写真は水の中の姿を写したものなのだ。

10年ほど前の私だったら、オスとメスの見分け方を知識として(言葉で)知っているのに実際には見分けようとはしない子に結構厳しく当たった。「言うだけか~」「知ってるだけか~」などと。
でも、このごろはそうではない。
「せびれがない」という子の言葉に「教科書どおりにはいかんやろ」て言ってる。
これって…。

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2004.06.06

『陰山英男の「校長日記」』

『陰山英男の「校長日記」』 陰山英男 (小学館)

陰山英男氏が校長として尾道市立土堂小学校に赴任することが決まってからの1年あまりのことが日記形式で書かれている。

「校長」日記である。だからか授業そのものについて書かれた部分は少ない。かといって学校運営について書かれた部分もそう多くはない。「日記」である所以だ。

刺激度は『“子どもの小さな事実”に感動して始まった 新学校づくりの記』大森 修編著(明治図書)に負ける。

「Aという先生とBという先生が同じシステムで同じようにやっていたとすれば、そこから生まれるのは安心感のみ。安心することによって成長はなくなる。また、各々の先生が個々で実践研究を進めていくことに対し、『何をやっているのか分からない』不安があったからこそ、みんな一生懸命やれたのだと思う」p273
というところなどは、自分の勤務校と似ているところもあるので分かりやすい。
逆に、分かりにくいのは、「母校の岡山大学へ錦を飾る」という章や(p215)、「その彼ももう四十歳を過ぎた。本当の一流の教師として世に知られるための時間は、じつはもうそれほど多くはない。管理職になる前に、現場の段階で、ある一定の評価を得ていてほしいのだ。とにかく早く彼を世に出したいという思いが私にはある」(p258)だ。
こういうところになると自分にとっては想像のできない感覚になってしまう。志向の違いといってしまえばそれまでなのだろうけど。

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投書記事を授業する③

【第3時間目】5.31実施。実習生参観
最初の投書に応えた投書がある。「知ってほしい母子側の事情」(5月18日付け 読売新聞)という題がついている。
要旨は次の通り。
「当然のことです。しかし、実際問題として子供連れの外出はしんどいものがある。親にならないとわからないこともある、ということもわかってほしい」というものだ。
これをもとに授業をした。

ねらいは、「論点がずれていることに気づくことができる」である。
(または、「新たな論点が出されていることに気づく」)

わずか2段落だったので、いけるだろうと思ったのが甘かった。投書の結論部をきちんと押さえておくべきであった。
2時間目と似たような意見が多く出された。論点のずれを指摘する子の発言がなかった。
やむを得ず、後半になって修正をかけた。
『第1の投書の結論の文は?』
『第2の投書の結論の文は?』と確認した。
その後『結論部分を比べて何か言えることない?』と聞くと、ようやく「話がかみ合ってない」という考えが出され始めた。

【第4時間目】5.31実施
引き続き「話がすれ違っている」などという意見が出される。
しかし、「『当然のことです。親の仕事ですものね』と、いったんこの人も認めているのだから、話が全然かみ合ってないとは言えない」という考えも出される。
これがこの学級のよいところで、全面賛成や全面反対に終わってしまわない。
部分否定や部分賛成の考えを表明できる子がいる。(これを私がつぶさないようにしなくっちゃ~)
意見が出尽くした後、さらに3通目「子供の『無礼』は親が対応すべき」(5月23日付け 読売新聞)が載ったプリントを配る。
要旨は次の通り。
「席を譲ればとか親にならないと分からないなどという以前の問題である。子供へのしつけから考えなければらならない」というものだ。

読み終わると、なぜか拍手がおきた。
最後に「学習を終えて」という題で自分の学習をまとめた。

【反省点】
①2時間目に頑張った○○くんを3,4時間目には発言させられなかった。
②「賛成か反対か」ということで話し合いを鍛えてもらっているこの子たちに「論点のずれ」に気づかせるにはどう働きかければいいのか。

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