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2005.01.10

『「座りなさい!」を言わない授業』

『「座りなさい!」を言わない授業』西川純著(東洋館出版社)
根底に流れている考え方は「子供たちは学びたがっている。そして、自分たちで学び合えるのだ」であると読んだ。教師はこの子供たちの「学び」を「指導」という名のもとに邪魔してはいけないということだ。
「せんせ~、せんせ~」と言い寄られるのは心地よいものがある。しかし、それが危ういのだ。二十年ほど前、寄って来られるのが嫌な時期もあった。その時、自分はこの仕事に向いてないのかもと思ったこともあった。しかしそんなに思われた時の子供の方が自分たちで考える力がついていたのかも知れない。
心しておきたい言葉がいっぱいあった。

「しかし、教師の仕事は教えることのみではない。目標を与え、評価し、子どもたちが学びやすい環境を整える仕事がある。特に、目標を与え、評価するという仕事は、子どもにはできない、教師のみができる仕事である」p30、31
「しかし教師(筆者も含めて)が、目標ではなく方法を語ってしまう場合は少なくない」「いつの間にか、方法が目標にすり替わってしまう」「ところが、教師が方法を語っているか、目標を語っているか、という視点で見るとはっきりとした違いが見られた」p84、85
「目標を語ることと、方法を語ることの判定方法は、『そのことが成立したとき本当に満足できるか?』ということである。満足できるなら『目標を語っている』、満足できないなら『方法を語っている』ことになる。p86
「『問題なのは2分間で帰ってくるかどうかじゃなくて、どうしてそれが能率的だと思ったか、あとで説明してもらう。そこに問題があるんです』という一言は、教師の中に、主体者であり責任を負える人間であってほしいという願いがあり、それができるという信頼があるからこそ言えた一言である。どんなに『子どもは有能である』と口先で言ってたとしても、その本心で信じていないならば、その一言をけっして言うことはできない。この言葉が重要なのではなく、それを言わしめた考えが重要なのである」p86,87
「教師が答えを教えることは簡単である。しかし、そうすれば教師が答えを教えなければ解決できない子ども集団をつくり上げてしまう」p97

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