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2005.02.13

『学び合いの仕組みと不思議』

『学び合いの仕組みと不思議』西川純(東洋館出版社)
第1章に述べられている「筆者がよいと思っているクラスの姿」は、ぼくが志向している学級の姿に近いものがある。しかし、現実はなかなかそうはいかない。
「第一に子どもは有能であると、『子どもを信じる』考え方である。第二に、その有能性を生かすためには、子ども相互の学び合いが有効であるという考え方である。第三に、その学びを成立させるためには、教師は目標の設定と評価、それと外部の調整を行わなければならない、特に、目標の設定が重要であるという考え方である。第四に、その目標の設定を成立させるためには、個々人の目標とするのではなく、子ども集団の目標とすべきであるという考え方である」p84
これにはどの教師も異論はないであろう。ところが「『子どもを信じる』という言葉をどのような意味でとらえ、行動するかは多種多様である」p85のだ。
だから、子どものあらわれざまで、その教師は本当に「子どもを信じている」のかどうかをはからなければならない。逆に言うと、教師に信じられた子どもは、そうではない子どもとどう違うのかを具体的にイメージできなければならない。「四つを標語的にまとめても意味がない」p85のだ。
しかし、実際問題としてここが難しい。ぼくが他人の授業を見るのは年間10回ほどだ。そのうち校内研で6つほど。同じ教師の授業で、去年見た授業とは全然違う雰囲気の授業というのはまずない。(たとえ考え方は分かったつもりでいても、それまでとは違うやり方を採るというのはなかなか難しい。だから同じような授業をする学級になってしまう)つまり、今まで知らなかった子どもの動きが見られる授業に巡り会う機会は非常に少ないということになる。これは、違う子どもの姿をイメージするのに大変な障壁になっている。現場で授業をやっている人間が他人の授業を見る機会が10時間なんて、少なすぎるよな。

「非常におもしろいのは、実験に参加する生徒を集めると、実験に参加しない生徒が現れる。逆に、実験に参加しない生徒を集めると、実験に参加する生徒が現れる。同役割班編成にしても、男女別班編成にしても、最終的な各役割の出現割合はほとんど変わらない。すなわち、ある生徒が実験に参加する/参加しないかは、個人によって決定されるのではなく、社会的に決定されるのである。」p36
だから6年間組み替えのない本校では、当然「役割」や位置づけは固定している。今年は1年間で4人ほど変えられたかな。ぼくの力だけでは(もちろん)ないけど。
(こういう書名に弱くて、2冊も買ってしまっていた)

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