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2005.03.27

日本言語技術教育学会参加メモ

日本言語技術教育学会第14回東京大会参加メモ
大会テーマ:「この言語技術」を「この授業」で身につける

第一部 子どもに教えるべき「学習用語」
司会の鶴田氏は言う。
「技術を表すテクニカルタームが国語の授業に必要なのではないか。算数の約分・通分、体育の授業のドリブルというような。そういう用語を授業で学ぶ、使うことで国語の教科内容がはっきりするのではないか」
なるほどと思った。
今年度「プラム・クリークの土手で」「わらぐつの中の神様」「大造じいさんとガン」の授業で、必ず「クライマックスの検討」をした。各学期ごとにしたことになる。
「文学作品には必ずクライマックスがあるからね。それを見抜く目を持ちましょう」などと言って。
さすがに3学期の「大造じいさん…」になると、子供たちが「技術を使えてる」と感じたものだ。それは、
3回実施できた(繰り返し)学習+「クライマックス」という用語の響きに子供たちがひかれたこと、も原因だろう。

第二部 「この言語技術」を「この授業」で身につける
二部は、前半2本、後半3本の模擬授業と協議。
「条件」などの難しい用語は授業では使えないと感じた。
子供たちが自身で用語を使いこなせていると実感できる(だろう)用語でないといけない。でないと、ついてこれない子ができる。だから、「はじめ・なか・おわり(まとめ)」のようなシンプルなものが良いだろう。

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2005.03.24

『日記の魔力』

『日記の魔力』表 三郎(サンマーク出版)
筆者は「基本的に、夜九時に寝て午前一時に起きるという超朝型生活を送っている。このような生活パターンになった原因の一つは、女房との晩酌の習慣だ」そうである。p137
このような文を読むとなぜか文句なしに嬉しくなってきますね~。晩酌が原因で、夜九時に寝るなんて…。これはぼくも結構やってしまってます。でも、決して午前一時には起きられません。早くて三時です。といっても三時に起きたのは1回だけですけど。冬場は寒くって…。
ま、ここのところがいわゆる「ちがい」なんですね~。

筆者は三十年以上も日記を書き続けている。そしてそれを読み返すという。
では、何のために読み返すのでしょうか。
「外で勘違いするほど褒めそやされても、家に戻り日記を見ると、そこには等身大の『自分』の生活が淡々と記されている」からだそうです。p124
「すると、そこにはちゃんと生活している自分がいる。/それもけっこうちゃんとやっている自分がいる。/自分では振り回されていたように感じていたが、これだけのことをやっているのだから大丈夫、『おれはしっかり生きているんだ』と自信を取り戻すことができる」からだそうです。p126
というような理由で十日ごとに日記を読み返しているのだそうです。

日記というものに縁の無かったぼくが日記を書き出すようになったのは'03年から。
表ページの「たわごと」がそうです。
まだまだ2年。
書き続け、そして時には読み返すと、さてさてぼくは何が言えるようになるのでしょうか。

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脱出失敗!

今日は異動内示日だった。
この時間まで電話がかかってこないということは、、、、、
脱出作戦が失敗に終わったということだ。

フン!

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一年が終わった

一年が終わった。
今年も素晴らしい出会いに恵まれた。

四月に会った彼らは「その内容だったら質問じゃなくて意見だと考えます」と言える子がかなりいた。
授業で自分の考えを表明することについて、8割の子は抵抗感がなさそうな学級だった。(それだけ人間関係が良い集団だと言える)
声もしっかりしていて、テープに録りにくいのは一人だけだった(声質の関係もある)。
だから当時のぼくの目標は「レベルダウンをさせないこと」だった。
そして、前担任の方がどのようにしてここまで鍛えたのかを子どもを通して見る(探る)ことだった。
こんな「目標」は長い教師生活で初めてのことだった。

そして。
残り2割の子のうち、数人は、ぼくのソフト路線で(テキトー路線とも言う)2学期中頃から身振り手振りを交えて話すようになった。
結果、思いを言うことに関しては9割の子が「理由づけていっぱい言うのが当たり前」の状態になった。
さらに、
過去4年間の学校生活で、1学期はがんばって教室にいるが、学期が進むにつれて○○学級で過ごすことが多くなっていた子が、どんどん教室でいる時間が長くなった。そして3学期は(ぼくの知ってる限り)一度も泣かず、給食当番のときなど、みんなに大きな声で呼びかけていた。

「ここ通らして」「ごめん」「ぼくがするわ」「ありがと」などという言葉がごく自然に飛びかっていた集団だった。

自分たちの「進歩」を素直に認め合える集団だった。

そして、
この子は人として、ぼくにないものを持ってると感じさせてくれた子がたくさんいた。

ということで、ぼくにとってじつに実り多い一年だった。こんなに恵まれた年は二度とあるまいと思う。

そして、
そして、
新しい学級の子がうまく物事を運べず、ぼくの心がザラついている夢を今朝見た。

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2005.03.21

『頭がいい人の45歳からの習慣術』

『頭がいい人の45歳からの習慣術』小泉十三(河出書房新社)
あまりにもぼくに当てはまりすぎて(つまりレベルの差はあるけどすでに実践してるよ、というのが多くて)、このての本を読んだときの高揚感が少なかった。
昇進や上下関係という言葉に縁の少ない仕事だから、職場の人間関係云々よりも自己充実というか自己実現を図る方に関心が向く。(仕事も自己実現のひとつだけど)
だから、42歳で1300CCのバイクでライダー復活。45歳でスズカサーキットデビュー。それ以降、年に2,3回の走行会。47歳で四輪のサーキットデビュー。
と、「つまり、『不良中年』は、自立したオヤジのひとつのカタチなのだ」p190に述べられていることを実践している。
今から思えば、それぞれの“扉を開けたとき”のワクワク感はたまらなかったですね~。
今も走行会はワクワクするけど、もはや「初めて」ではないので、それなりの目標ができたりしている(タイムとか)。だから「初めて」のワクワク感が懐かしかったりする。
何か新しいこと始めなくっちゃ。
ん?
「『学問』を始めるのに遅すぎることはない」p110って。

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2005.03.12

DVDに焼く

ところが下のビデオは当時、子供たちに見せていなかったようで、集会当日に初めて見た6年生が泣きながら「卒業式の日にも見せてちょうだい」とやってきた。
それはさすがにできないので、結局、集会で使ったビデオをDVDに焼いて配ることにした。これならタイムカプセルに入れたダイジェスト版ということで許されるだろう。それにタイムカプセルを開けるのは、18年後。それまでカプセルの中は大丈夫なのだろうか。いや、それよりもぼく自身が保つかどうかが一番あやしい。
で、例によって年度末の円盤焼きを開始した。時間、かかるやろな~と思っていた。ところが、近ごろのパソコンに入っているソフト(Click to DVD)を使えば、マニュアルも見ないで焼くことができた。なんとまあ、便利になったものや。
こんなに簡単なら、今年度はしない予定だったビデオづくりをまたまたしたくなってきた。(今のところパソコンが順調に動いてるからこんな調子のいいこと書けるわけでありまして…。あと17枚)

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2005.03.04

6年生を祝う会

彼らを4年生の時に担任している。その年は100周年記念事業があった。彼らの夏休みの作品紹介を名前順にビデオで撮った。それを編集し、後半にはいくつかの写真をスポット的に入れた。そしてCDに焼きタイムカプセルに入れた。
そのファイルを祝う会で使うことにした。オリジナルは32分もの。祝う会で使える時間は7分。テロップで名前の出る箇所とトランジション効果を使って次の子の画像に移る場面を残して後はカットした。2日間のトライでなんとか6分台に縮めることに成功した。
5年生の子たちは、スクリーンに映し出される6年生(映像は4年生)に対してメッセージを一人ずつ言う。やがて「栄光の架橋」の合唱が始まる。曲の大サビのところでは、その年につくったひょうたんの工作やジャンボカボチャ、放課後の教室などの写真が続く。
泣いてもらいました。

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