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2005.04.30

『頭がよくなるスーパー読書術』

『頭がよくなるスーパー読書術』出口 汪(青春出版社)
筆者が「論理エンジン」という新しい教育システム・教材開発に取り組んだ際、次のように言われたそうだ。
「その際、国語の教師から次のような反論が多く出された。『国語の授業は、論理だけでなく、文学的感性や想像力といったものも大切ではないのか』
もちろん文学的感性や想像力は何よりも大切である。だが、論理力を鍛えることが、どうしてそれらを損なうことにつながるのか?」p184、185
その通りだ。
職場に「物語文にどっぷりつかり登場人物の心情に深く迫るという、本来の物語文の学習経験が少なくなってきているのを遺憾に思う」と言う人がいる。
そういう人に「では、登場人物の心情に深く迫れた子はどのようなことを言い、どのようなことを書くのか?迫れていない子はどのようなことを言い書くのか?」と尋ねると決して具体的に答えられない。おっと話がそれた。

読むのはエンターテイメントではなく文学書だ。そして次のような読み方をすることが論理力を鍛えるという。
「そして人に説明できるように読む。すると次々と疑問点が生じてくる。
なぜ源氏は狂おしいほど愛を求めたのか?恋愛と政治がどのように結びついていったのか?」p182

「主人公の『私』がなぜ無個性なのか?」p190
「『先生』はなぜ『先生』と呼ばれたのか?」p190
「Kはなぜ自殺したのか?」p191
このような読み方は、登場人物の心情にひたる読み方ではないと言える。

ちなみに、うちの息子は出口汪氏の講義をビデオで受けている。
そして「現代文がめちゃめちゃ分かるようになった気がする」とけっこう感動して言っている。
教師の仕事はこうでなくっちゃ。ぼくもビデオを見たい。

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