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2005.06.26

『僕が医者を辞めない理由』

『僕が医者を辞めない理由』南淵明宏(羊土社)
同じ著者の『心臓外科医』を読んだときこう書いた
それに比べて本著は医師の世界や筆者自身をシニカルにとらえた文章が多い。
例えば、
「この国ではいったん医者ムラの村民になればわがまま言わない限り一生脱落することはないようです。こういった制度に助けられ、私は分不相応なことに心臓外科医としてのトレーニングを詐欺師まがいに続けてこれたように思います。(略)日本のシステムなきシステムは、私が逆立ちしてもかなわないと思っていた国内のライバルのやる気をそいでしまい、活躍の機会を与えず、精神的に打ちのめし挫折させて、結果としてわたしのようなチンピラをのさばらせる結果となったと言えます」p33
のように。
このことがかえってぼくの想像を掻き立て、思わず自分の身のまわりのことに当てはめながら読んでしまった。


「医者になるやつは皆世間知らずで自信過剰、と私は思います」p49

「教師になるやつは皆世間知らずで自信過剰、…」


「私には一生懸命になって教授になろうとする医者がたくさんいるという現実が理解できません」p57

「私には一生懸命になって教頭になろうとする…」
現実に、今日みたいな休みの日、教頭試験の対策を受講している人が4人いるそうですよ。えっ、なぜ知ってるかって?以前そのセミナーから受講のお誘いの電話があったからです。その時すでにほろ酔いで、いつになくゆったり電話を聞いていたらそんなこと言ってました。


「このように他人を知らないことで自分もどの程度かわからない、何も見えない霧の中に入ってしまうのです。そして自分たちの正当性を感情的に信じ、自分たちの水準を何の客観的根拠もなく、情緒的に一流と信じて危険な手術を患者さんに「試している」実情があるのではないでしょうか。p123

息子が小学生だった頃、給食を食べてしばらくしてから気分が悪くなってもどしたそうです。その日、彼は完食のシールをもらえなかったそうな。(←この話、じつは今日、妻から聞いた)もどしたのだから…、完食じゃないけどね…。
ま、教師の場合、「命」に直結しているというのは少ないと思うけど。(決してゼロじゃない)


「この執刀医がどうこうというより、手術のうまい下手、巧拙が裁判所でも判断されてしまうご時世になったということです」p128

「この教師がどうこうというより、授業(子扱い)のうまい下手、巧拙が参観日でも判断されてしまうご時世になったということです」


「しかし、手術手技の評価方法が、例えば野球やゴルフなどのスポーツの技術のように統一の言語で理解され、共通の基準が設けられているわけではありません」p131

「しかし、研究授業の評価方法が、例えば野球やゴルフなどのスポーツの…」

手術の場合は所用時間や執刀回数に基準を求めようとすれば、できないことはなさそうだ。しかし、われわれには…何もない。

見る方向を間違えないでおこう。

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