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2005.07.03

『戦艦大和 復元プロジェクト』

『戦艦大和 復元プロジェクト』戸高一成(角川oneテーマ21)
この夏、行こうと思っている広島県呉市の大和ミュージアムの館長が書いた本。
大和の十分の一模型づくりに携わった人々の思いや努力、こだわりが書かれている。
十分の一と言うと全長が26メートルになる。もはや模型と言うより普通の船だ。先月、社会見学で神戸港で乗った船より大きいはず。
実際「自衛隊や海上保安庁にこのクラスの船がかなりありますが」と書かれている。p40
するとどういうことになるか。
「十分の一といえば、省略できる箇所はまずない。実物で一センチのものは、模型では一ミリになる。一ミリといえば、模型の世界では確実に工作対象となる。つまり、十分の一で大和を再現するためには、実物の大和を一センチ単位で解析できるだけの資料が必要になる」p13
資料は終戦時にほぼ焼き尽くされているから、残された資料を解析しての作業は当然のように試行錯誤の連続だっただろう。


「模型が完成すれば、手摺を倒すことはない。来館者がどんなに目を凝らしても、手摺の曲がる方向など見えないだろう。しかし、気がついてしまったのだ」p38

「作っているうちに、『もっと精密に、もっと精密に』と深みにはまってしまうのだ。/スタッフ自身に、作っていて『十分の一でこれでは寂しい』という気持ちが出てくる。たとえば、信号索の滑車に滑車本来の機能など必要ない。それでも思わず、実物同様に動く滑車を作ってしまうのだ」p44

「棟梁の作業に図面は一切ない。すべては経験にもとづく勘である」p45

「『科学技術』と一口にいわれることが多いが、科学と技術は違う。科学は理論上の世界なので、結果としての答えはただ一つ。答えがいくつも出れば、どれかが間違っていることになる。徹底した客観の世界なのである。
しかし、技術の世界は違う。技術は人間の腕前を通してあらわれるものだ。同じ図面、同じ素材、同じ工具を使っても、作る人間の腕前が違えば、違ったものができあがる。『許容誤差』という言葉があること自体、まったく同じ製品は二度と作れないことを示している。人間の『腕前』は、この誤差を極限まで減らす」p167

「完成した大和を見ながら、本物の大和もそうだったのだろうと思い到る。大和が世界一といわれる理由は、そのスケールが世界一だったというだけではない。現実にあれほどの艦を造れたことこそが世界一なのではないか。
昭和十年前後の時点で、四十六センチ砲を搭載した戦艦を設計できる国は、日本以外にもあった。設計は一定の知識の上に成立するものだからだ。しかし、それを現実の形にすることができた国は日本だけだった。製鋼から造船、機関、兵器に到るまで、実際に造り上げる能力は、同時代において突出していたと考えて間違いない」p168

行く前に読んでよかった。
ここにも行くつもり。

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と、第一主砲塔前を底とするなだらかな波型をしているのが見てとれる。これは艦上構造物で最も重量のある砲塔の位置を下げ、艦首部に大きなシア(戦艦大和|}大和(やまと)は、大日本帝国海軍が建造した戦艦。大和型戦艦の1番艦。太平洋戦争にかけて建造された日本の戦艦の中で、その決定版とも言え、現在に到るまでこれを超える大きさの戦艦は建造されていない超弩級戦艦。同型艦武蔵の竣工までの間、連合艦隊旗艦を務めた。その勇姿と悲劇的な最期への郷愁や憧れからか、後世数々の映画などに取り上げられている。また、幅広い年代に知ら... [続きを読む]

受信: 2005.09.29 01:08

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