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2005.07.30

めも

『月刊 国語教育研究』2005年8月(No.400)(日本国語教育学会編)の巻頭言。平田オリザ氏の文の引用。


(略)まず最初に感じたことは、どうも日本の表現教育というのは、子どもに表現を強要しすぎているのではないかという点です。
厳しい言い方をすれば、日本の多くの表現教育が、子どもの首を絞めながら「表現しろ表現しろ」と迫っていく。もちろん、そうではない、子どもの自発的な表現を引き出そうとする、地道な活動もたくさん見ては来ましたが、どうも表現教育に熱心と呼ばれる先生ほど、無意識に子どもを追いつめてしまうことがあるような気がします。
そんな先生には、後ろからそっと近づいていって、「いや、まだその子は、表現をしたがってはいませんよ」といって差し上げたいといつも感じます。
表現の欲求、「伝えたい」という気持ちは、「伝わらない」という体験からしか起こりません。(略)


心しておこう。
自分の都合だけで子どもを見ないようにしよう。

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2005.07.27

『決断力』

『決断力』羽生善治(角川oneテーマ21)
将棋には詳しくないが将棋の世界は選択と決断の連続であるということぐらいは想像がつく。
ぼくのように自分に都合のよい子どもの出方だけを予想しているのとは次元が違う。ま、こんなことは言わずもがなのことだけど。

ところでいちばん驚いたのは、時とともに将棋が変わるということだ。
時を経るにつれて将棋の指し方(戦法)が古くなるということだ。

「たえず新しい戦法が考案され、飽きられていく。もしもタイムマシンか何かで二年後に行き、その頃行われている対局を見て帰ってくることができたら、どれほど有利になることだろう。それくらい最先端の将棋は変化し、進歩し続けている」p73
「たとえば、私が十代のころに、よく勉強した形がある。しかし、今の目から見るとすでに古い将棋で、戦術として今の将棋に役立つことはほとんどない。対局でその頃の情報や知識を生かす場面にならない。後輩が見ると『そんな手があったのですか?」と、まるで古典落語に接する感覚なのだ」p132
「つまり、過去にどれだけ勉強したかではなく、最先端の将棋を、どれだけ勉強したかが重要なのだ。ここ一年とか二年とか、本当に短い間にどれぐらいそれを勉強しているかが問われるようになった」p135
「科学技術もそうだろうが、将棋にも時代の水準のようなものがある。時代が進むと全体的な技術も進歩する。特に、この二、三十年は、将棋界は技術改革の渦の中にいる。/たとえ升田先生であっても、先生が現代に姿を現し、今のプロ棋士と対戦したら、それが初めての対戦ということであれば、残念ながら戦いにならない。力をまったく発揮できずに一瞬で勝負がついてしまうだろう」p143

つまりどの世界でも現役でありつづけようとすれば、常に学び続けるしかないのだ。

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2005.07.24

05年度第1回10分間視写

『うつしまるくん』(明治図書)の10分間視写がようやく7月15日にできた。
今年のデータは、MAX=349字。MIN=90字。AVE=276字。
300字を超えた子は16/31人。

去年の5年生のデータと比べてみよう。
おやおや予想に反してけっこう数値がよいではないか。

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2005.07.22

個人懇談会1日目

今年の個人懇談会は夏休み初日から2日間。
午前9時から16時過ぎまで時間がある。
ぼくの場合は8時40分から始まり16時45分に終わった。初日は15人の方と懇談した。これは1時間に約2人というペースになる。
今までは1時間に4人ということもあったから、それに比べると非常にまったりしている。
1時間に2人といっても、ひとりあたりの懇談時間自体はそうそうのびるはずもないので(ぼくの場合)ゆとりがある。ひとりあたり10分ぐらいは待ち時間があった。その間に次の方の資料を完璧に再確認できた。
だから、言い忘れたということもなく顔を対面させているのが原因のめまい(笑)もなかった。
保護者の方はもちろん待ち時間ゼロ。ま、ぼくの場合は去年まででも待ち時間はほとんどゼロだったけど。
体は今までのペースを覚えているので、時間の割に人数が進まないので?と思うときもあったけど、そんなときは読書をするか梃子の実験用としておいてあるダンベル(5キロ×2)を相手にして…。33度の室内での筋トレだからさぞかし効果が…。

【訂正】
以前、ここで「例年ならこの時期の午後、2日間にわたって個人懇談会をする。」と書きましたが、「3日間」の間違いです。

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2005.07.16

波及効果?

25メートルを全員泳ぎきったということを以前書きました。
最後の子が泳ぎきった時(やその後)、ぼくの知らないところでいろいろあったようです。

「(略)すっごく努力をしていて、なんだか自分もドキドキ…。日に日にれんしゅうしてすごかった。○○ちゃんも、すごく必死な顔で泳いでたし、○□もすごくがんばってた。
わたしが25メートルを泳ごうとしてたら○□がスタートした。わたしは半分くらい行ったら足が止まってしまった。○□が25メートルをあともうちょっとで行けそうだったから。
ずっと見ていたら25メートルまでとうちゃく。
わたしまで感動して、「おめでとう!」と言った。やっぱり「あきらめない」っていいコトかな。わたしもあきらめないでバスケをがんばりたい」

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2005.07.14

靴が浮く

着衣泳の指導をした。このサイトを参考にして。

水着の上に服を着る。この時は裸足のまま。
まずは25メートルを歩く。泳げる子は途中から泳ぐように言う。
クロールと平泳ぎができる子には両方試させる。
プールサイドに座らせて、クロールと平泳ぎではどちらが泳ぎにくかったか問う。
圧倒的にクロールが泳ぎにくいと言う。
説明。「肺には空気が入っていることもあるから人間は足から沈むそうだ。では、その足を浮かせるにはどうするか。今みんなが履いている靴が役に立つそうだ。靴が本当に浮くかどうか試してみよう」と、ここで自分の履いている靴が浮くかどうか試す。
次に、靴を履いて持ってきたペットボトルやビニール袋を使って浮く練習をする。
最後に靴だけで浮く練習をする。

「着衣泳がありました。私がとびこむと・・・プカプカとうきました。くつのおかげです。空気を入れたふくろよりも、ペットボトルよりもうくのがくつでした。
上を向いてねてみると……。うきます。『えぇぇ!くつってうくんやぁ(^.^)』わたしはそう思いました。私は45秒ぐらいうかんでいられたかな??
本当にそうなったときに、できるようになったかな?勉強になりました。」

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2005.07.13

個人懇談会

1学期の授業日数はあと3日。
不思議に焦る気持ちがない。
なぜか。
例年この時期にある個人懇談会がないからだ。
例年ならこの時期の午後、2日間にわたって個人懇談会をする。
午後からというと、早い方は13時30分前から始まる場合もあり、4限の終わりから給食を食べた後にかけてかなり気ぜわしい思いがする。
その懇談を今年は夏季休業中にするという提案が通り、終業式の次の日から2日間でおこなうことになった。
すると、すると。
なんとゆったりすることか。毎日6限までゆっくり授業ができるのだ。
おかげで全く期末気分にならないのは困りものだけど…。

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2005.07.07

『さっさとやれば、何でもかなう!』

『さっさとやれば、何でもかなう!』中島孝志(東洋経済)
帯には、「『できる人』は皆、仕事が速い」と書かれています。
これはホントですね~。
なので(?)この本は、サッと読めます。さっさと読み終えてできる人に近づこう、ということでしょうか。

ひと言で「仕事」といっても実は二つある。次の通りである。
①仕事
英語で言えば「ワーク」のこと。あなたにしかできない仕事だ。
たとえば、新しい企画を考えたり、顧客を開発したりするセールスなど、本来志向の仕事のことだ。もちろん、これらは集中して取り組まなければならない。
②作業
英語では「ジョブ」。だれでもできる定型的な仕事である。
たとえば、出張の精算処理、伝票の記入といったルーティンワークのことだ。集中レベルもそれほど高くなくていい。p39

自分も「時間で見通せない仕事」と「時間の見通しがきく仕事」というふうに分けていた。しかし、上の分け方の方がすっきりする。

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2005.07.05

完泳

今日はクラス31人全員が25メートルを泳げた記念日になりました。
この前まで13,4メートルでとまっていた子が、今日泳ぎ切ったのです。
今日の水温は25度。ちょっと寒かったです。

彼のフォームは力が抜けきらず、大変しんどそうです。
でも、体力にものを言わせれば泳ぎ切るだろう、とこの前から思っていました。
彼の場合は“気”がいろんな意味で大きな壁になってると思っていました。

「(みんなに)応援されたら(かえって)泳げない」などと言う子です。
この気持ち、じつによくわかります。ぼくだってそうです。
だから「今、見てる子、少ないで。せ~の」というかけ声でスタートしました。
そして彼が初めて25メートル泳げたとき、拍手した子は2人でした。(ぼくの声もいつもより小さかったので)

「彼にとってこの成功感が…」なんて、欲張りなことは思わないようにします。

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2005.07.03

『戦艦大和 復元プロジェクト』

『戦艦大和 復元プロジェクト』戸高一成(角川oneテーマ21)
この夏、行こうと思っている広島県呉市の大和ミュージアムの館長が書いた本。
大和の十分の一模型づくりに携わった人々の思いや努力、こだわりが書かれている。
十分の一と言うと全長が26メートルになる。もはや模型と言うより普通の船だ。先月、社会見学で神戸港で乗った船より大きいはず。
実際「自衛隊や海上保安庁にこのクラスの船がかなりありますが」と書かれている。p40
するとどういうことになるか。
「十分の一といえば、省略できる箇所はまずない。実物で一センチのものは、模型では一ミリになる。一ミリといえば、模型の世界では確実に工作対象となる。つまり、十分の一で大和を再現するためには、実物の大和を一センチ単位で解析できるだけの資料が必要になる」p13
資料は終戦時にほぼ焼き尽くされているから、残された資料を解析しての作業は当然のように試行錯誤の連続だっただろう。


「模型が完成すれば、手摺を倒すことはない。来館者がどんなに目を凝らしても、手摺の曲がる方向など見えないだろう。しかし、気がついてしまったのだ」p38

「作っているうちに、『もっと精密に、もっと精密に』と深みにはまってしまうのだ。/スタッフ自身に、作っていて『十分の一でこれでは寂しい』という気持ちが出てくる。たとえば、信号索の滑車に滑車本来の機能など必要ない。それでも思わず、実物同様に動く滑車を作ってしまうのだ」p44

「棟梁の作業に図面は一切ない。すべては経験にもとづく勘である」p45

「『科学技術』と一口にいわれることが多いが、科学と技術は違う。科学は理論上の世界なので、結果としての答えはただ一つ。答えがいくつも出れば、どれかが間違っていることになる。徹底した客観の世界なのである。
しかし、技術の世界は違う。技術は人間の腕前を通してあらわれるものだ。同じ図面、同じ素材、同じ工具を使っても、作る人間の腕前が違えば、違ったものができあがる。『許容誤差』という言葉があること自体、まったく同じ製品は二度と作れないことを示している。人間の『腕前』は、この誤差を極限まで減らす」p167

「完成した大和を見ながら、本物の大和もそうだったのだろうと思い到る。大和が世界一といわれる理由は、そのスケールが世界一だったというだけではない。現実にあれほどの艦を造れたことこそが世界一なのではないか。
昭和十年前後の時点で、四十六センチ砲を搭載した戦艦を設計できる国は、日本以外にもあった。設計は一定の知識の上に成立するものだからだ。しかし、それを現実の形にすることができた国は日本だけだった。製鋼から造船、機関、兵器に到るまで、実際に造り上げる能力は、同時代において突出していたと考えて間違いない」p168

行く前に読んでよかった。
ここにも行くつもり。

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