« 第7回 全国国語授業研究大会 | トップページ | 第20回人間教育実践交流会「伊丹フォーラム」 »

2005.08.06

『対話のレッスン』

『対話のレッスン』平田オリザ(小学館)

平田氏は話し言葉を「意識」という視点で次のように分類する。
「独り言」「反応・叫び」「会話」(挨拶)「対話」「教授・指導」「説得・対論」「談話」「演説」。
後ろに行くほど意識的に話している。つまりあらかじめ話すことが決まっているということになる。

ここで「会話」と「対話」の違いについて次のように定義する。

■「会話」とは、すでに知り合った者同士の楽しいおしゃべりのこと。p8
だから知り合った者同士のさらなる合意形成に重きを置く。p153

■「対話」とは、他人と交わす新たな情報交換や交流のこと。p8
だから異なる価値観のすり合わせ、差異から出発するコミュニケーションの往復に重点を置く。つまり対話とは「自分の価値観と、相手の価値観をすり合わせることによって、新しい第三の価値観とでもいうべきものを創り上げることを目標としている。だから、対話においては、自分の価値観が変わっていくことを潔しとし、さらにはその変化に喜びさえも見いだせなければならない。相手の意見に合わせるのでもない。自分の意見を押し通すのでもない。新しい価値創造の形が、いま必要とされているのだ。」p155
つまり対話はアウフヘーベンをめざしているのだ。

しかし日本人は対話が下手であるという。
なぜなら「日本人は、非常に流動性の低い社会に暮らしてきた」からだ。p158
「まずもって、このような社会では『対話』は必要とされないであろう。なにしろ、生まれてから死ぬまで人々は『他者』とは出会わないのだ」「そこから生まれる言語は、同化を促進する『会話』のためのものが発達し、差異を許容する『対話』が発達してこなかったのは当然だろう」p159

こういう部分は現任校の様子と重ね合わせて読んでしまう。
幼稚園から卒業するまで同じ学級という子が26/31いる。
転入生もほとんどいない。ぼくが赴任して5年目になるが数人である。
こういう世界では「対話」はいらない。「会話」だけで十分だ。それも『単語で喋る子供たち』p46~のように名詞だけでも十分だ。いや、周りの子が「~やしょな」と言ってくれるのに甘えて、うなずくだけですませる子も、実はいるのだ。

同時に位置関係も固定しがちだ。だから、○○君が1学期、「小数のかけ算・わり算」のテストで100点をとった(正確にはぼくがとらせた)ことが重要なことになってくるはずだ。話がそれた。

では、このような社会(学級)では「対話」は不可能なのか。
不可能ではないだろう。
ヒントは、『忠臣蔵』p154だ。
江戸から早駕籠を到着させればよいのだ。ぼくが。
上に述べた○○くんのことがある。さらには、なんと、2学期、5,6年に転入生がくると聞いている。

|

« 第7回 全国国語授業研究大会 | トップページ | 第20回人間教育実践交流会「伊丹フォーラム」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/27801/5331841

この記事へのトラックバック一覧です: 『対話のレッスン』:

« 第7回 全国国語授業研究大会 | トップページ | 第20回人間教育実践交流会「伊丹フォーラム」 »