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2005.10.30

『「親力」で決まる!』

『「親力」で決まる!』親野智可等(宝島社)
メールマガジン「親力で決まる子供の将来」や「親力診断テスト」の親野智可等(おやのちから)氏の著書。

氏は「はじめに」で次のように言う。
「私は、親たちのほとんどが自分なりに一生懸命がんばっているということを、よく知っています。/しかし、また、次のことも知っています。/多くの親たちは、子供を思う気持ちはあっても、具体的にどうしたらよいか分からないでいるということ。/教育のほんのちょっとしたコツが分からないで、見当違いのことをし、逆効果になってしまっていることが多いということ。
といっても、それは無理のないことなのです。なんといっても、子育てに予行演習などないのですから」p4

そうなのである。
子育ては、出たとこ勝負で一発勝負の積み重ねなのだ。

うちはもう完全に手遅れだけど、でも、今もっているのは5年生の子だ。
まだ間に合うかもしれない。
という気持ちで、学級懇談会に利用&紹介させていただいた。
保護者には、1学期の懇談で「親力診断テスト」をやっていたので「親力」という言葉にはすでになじみがあったようだ。

ということで、学級懇談会などで大変役立つ本だ。

しかし、個人的には「息子が小学生の頃にな~、もっと○○をやっておけば…(やらせておけば…)なんて」ついつい思ってしまうので(子育てにあまり参加しなかったくせに(^^ゞ)、本書の「ピグマリオン効果を活用すれば、我が子を伸ばせる」p142を閉めにして、本棚にしまうことになる。

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「もどらない本」の授業

「もどらない本」のあらすじは次のようなものだ。

ひさし君は、ゆみえさんとあらそって、以前から借りたかった本『宇宙の話』をやっと借りることができた。
この時、ひさし君はゆみえさんに、来週の火曜日に渡すことを約束した。
二、三日したある日、ひさし君が『宇宙の話』を読んでいると、隣の組の一郎君がやってきた。二人で本を見ているうちに一郎君がこの本を貸してほしいと言った。
約束の火曜日まで、まだ三日あったので、火曜日にはゆみえさんに渡す約束をしていることを一郎君に告げ、ひさし君は一郎君に本を貸した。
ところが火曜日、一郎君がかぜで休んでしまった。
本を借りられなかったゆみえさんはひさし君をせめる。

発問は「悪いのはだれかな?」。

まず原稿用紙に自分の考えを書かせた。(第1限後半)
第2限は、日曜参観。
水曜日に授業を見せてもらったのとほぼ同じようにした。
考えを言うときは原稿用紙を見ないようにしたのだ。
子供たちの口調が見事に話し口調になり、聞きやすいものになった。
(さすがや、研究主任!)

嬉しかったのは、ぼくの予想以上に様々に考えられたことだ。
「ひさし君が悪い」と考える子がやはり一番多くて16人。
「ひさし君と一郎君が悪い」と考える子が6人。
「ひさし君と一郎君は悪くない」と考える子は5人。
ま、ここまでは予想通り。
この前の4年生の授業でもそうだった。
ところが、
「ゆみこさんが悪い」と考える子が1人いた。
さらに、
「みんな悪い」と考える子と「ゆみこさんと一郎君が悪い」と考えるこがそれぞれ1人いた。
けっこうしっかり考えているやん、と授業をしながらうれしくなっていた。
子供たちもいつもより大きな声で自分の考えを言えていた。

だが、全員が考えを言い終わって、次の段階の、質問反論になると鍛え方の差が現れた。
うちの学級は6,7人しか動かないのだ。
…。
う~ん、かんじんなのはここからやのに。
厳しいものがある。
さらに「聞く」ということでも鍛え方の差が見えた。
自分が言えばホッとしている姿が多いのだ。
う~ん、この先どこまでできるかな。

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2005.10.29

研究主任の授業

11月26日(水)に校内の研究授業があった。
授業者は研究主任の方。ぼくより少し若い。
今の学校に来て毎年この方の授業を見る機会があるが、見せてもらえる度に刺激を受ける。
今回は4年生。教材は『もどらない本』。彼に言わせると、出典は不明とのことだがググってみると、1977年文部省発行『小学校道徳の指導資料とその利用2』みたいだ。

■授業中の彼の言葉から
・「今の○○くんの言ったことを繰り返して言える人」
と1回入った。
これはぼくも使うが、決定的に違ったのは、彼のこの言葉を聞いたときの子供たちの緊張感だ。なんかこう張りつめた感じになった。
この言葉は多くの人が使うだろうけど、この言葉を言った後のやり方が違うのだろう。きっとぼくは甘いのだろうと思う。

・「結局、○○さんが言いたかったことって何?」
この時も、緊張感が走った。
残念ながら今の学級でぼくは言ったことがない。
長々と自分の考えを言えるところまでできていないのだ。
発表することにようやく抵抗感が少なくなったという段階しかできていないのだ。
間に合うのか?

■協議会での彼の言葉から
・「友だちに説明できるかどうかが算数が分かったかどうかの基準だと子供たちに言ってる」
だから、2学期になっての算数の時間、彼はほとんど説明をしていないのだそうだ。
ここでも「伝えあう~」という研究テーマを意識した授業をしている。

・「今日は、子供たちの発言が長かった。あれでは今の段階では聞けない子の方が多い」

・「1学期は原稿用紙に書いた自分の考えを読むだけでもOKにしている。次に、原稿用紙を机の上に置いて喋らせる。どうしても言えなくなったときに、机にある原稿用紙を見ればよいと言っている。今の段階は、今日のように机の中にしまわせる。」
このように、彼の頭の中には子どもの上達の段階とそれに対応した教師のやりかたがイメージされている。だから子供たちはのびるのだ。
ぼくのように同じやりかたで漫然と1年間やっているのではないのだ。

同じ授業を見ても、いろいろ言えるもので「今日のような授業にはヤマ場がない」という意見が出された。
すると彼は言う。
「ヤマ場って、いったい誰にとってのヤマ場?」
お見事!

ところで、明日の参観に同じ教材で同じような流しでやってみようと思っている。
ぼくの課題、子供たちの課題がどこまで分かるだろうか。
(課題が分かっても、さて、ぼくは手を打てるのだろうか)

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2005.10.26

学級経営研究会高学年部会

11月9日に授業をして下さる方の事前研があった。
総合的な学習の時間に関した授業をして下さる。

その会に参加されたアツい方々の話を聞くことが出来た。

仕事のことについては、妻との会話の中で完結してしまっていることが多いぼくにとって、こういう機会は貴重なものだ。

なかでも、「イベント」に関連しての話はためになった。
(ぼくは「イベント」というものが苦手なのでそれを見据えた授業はしたことがない。)

新聞などに紹介される実践をよくされてる先生の「イベント」観は次のようであった。
「イベントに至るまでに、どの場面で、どの子にどんな力をつけたいかが大事なんだ。
イベント自体は、やったー、だけで終わって(も)よい」

ま、当たり前といえば当たり前だけど、ついつい報道される派手なイベントにだけ目を奪われて「イベントをゴールにした授業」を避けがちになっているぼくに、この言葉は効いた。

ぼくが担任した子の中に、もしこのような(≒イベントにいたるまでの)場が用意されたら、もしかしたら、もっと生き生きと活動できた子があったからもしれないからだ。
その可能性をぼくはつぶしていたのだろうかと思うと…

ぼく自身のウイングを広げなきゃと思う。
間口は広いに越したことはないな。

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2005.10.23

だまし絵を作りました

damasie02
10月は、遊びで忙しい日々を送っていますが、本業もぼちぼちと…。
ということで、9月27日に「だまし絵」を作りました。
くわしくは、こちらです。

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