« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005.11.30

これって

一昨年までのぼくだったら、今日の2限目の授業のような子供たちの発言できっと満足していたはずだ。

でも今年は満足していない。
かなり注文をつけている。

内心
去年の子ははここまでのことを言えていたのに、(同じ学年なのに今年の子はまだまだだ)
と言う気がある。

だから注文をつけている。


「ここまでのことを話し合えるようになるのだ」と(去年感じた)いう子にしたのは、ぼくではない。
そんなにさせたのは、前々年の担任(4年担任)のYさんだ。
ぼくはYさんが育ててくれたのを目減りさせないようにと気づかった(というより、踏襲することでぼくのウイングを広げたいと思った去年だった)。

結果、それまで知らなかったものを実感できた。
Yさんに聞いても本を読んでも分からなかったことや実感できなかったことを体験した。
(やはり体験するというのは違う。効果絶大というか)

なので
今年は
今の子供たちのあらわれに満足できていない。

ぼくは底が浅いから
満足できていないのが表情に出ているはずだ。

Moreを知ったばかりに目の前の子供たちに空回りしてしまう
ということのないようにしよう
と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.29

テスト授業

うちの学校は1学級しかないから
・テスト授業ができなくて…
・指導案も全部自分で書かなければならないし…
・テープ起こしも自分でしなければならないし…
という話を聞くと、

それこそ
「はあっ?」
と思ってしまいますね~。

つまり、
・研究授業の前には隣の学級を使って授業をするのが当たり前だったらしい、し。
・例えば「指導にあたって」と「本時」の項を書くのが別の人だったらしい、し。≒学年で研究を(←ワーク)を進めているからという理由で
・誰かがテープ起こしをしてくれればそれで済んだらしいし。←自分の語調や間のとりかたなどを振り返ろうとはしなかったらしいし。

…。

で、こんなのを聞いていると研究授業は一体誰のためにあるのや?
と思ってしまいますね~。
教師のパフォーマンスのための日じゃないんやで。

明日はその研究授業日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.28

やはり「AorB」「Aor非A」と問うべきだ

「~に賛成ですか、反対ですか」というのをメインにした授業をした後、協議会で言われたことがあった。
例えば「太一は結局、勝ったのですか、負けたのですか」と問うた場合や、
例えば「Aさんの考えに賛成ですか、反対ですか」と問うた場合、
に言われた。

概ね次のようなことを言われた。

「二つ{だけ}のことを考えさせるのは好ましくない。他にもいろいろと考えられるのだから…。」「考え方が狭くなる…」
つまり、
考え方を制限するのはよくないのだということを言われたのだ。
その時は、二つに絞るからこそ子供たちのエネルギーが高まるというようなことしか言えなかった。

今なら違う。もっと言える。
あなたは……したことがあるのかと。(謎)

先日の「もどらない本の授業」でぼくは次のように書いた。
>だが、全員が考えを言い終わって、次の段階の、質問反論になると鍛え方の差が現れた。
>6,7人しか動かないのだ。
>う~ん、厳しいものがある。
>さらに「聞く」ということでも鍛え方の差が見えた。自分が言えばホッとしている。
>う~ん、この先どこまでできるかな。
このような状態を経験したからだ。
もちろん今までも数多く経験しているのだろうけど、その時にはぼくの問題意識になっていなかったのだろう。

多くの考えが出された後、それで終わらずにさらに話し合いに持っていこうとすると、かなり上手にさばいて絞り込まなければならない。
そんなのぼくには無理だ。
(明らかにおかしいというものは検討させられるけど「もどらない本」の授業で出される考えは、“なるほど、そういうふうにも考えられる”というカテゴリーだ)
かといってそのままにしておけば、
「この考え方は自分と直接は関係ないな~」と思ってしまってホッとする子がいるからだ。
まだ「この考えは自分のとは違うけど、少しは(どこか)関係あるかな~」と思える子に育てていないからだ。

それに比べて「賛成or反対」というのはいやでも自分の考えと絡み合ってくるから、休憩は少なくなる。

だから
ぼくのレベルでは、
話し合いに全員を参加している状態にするという意味で、
やはり「AorB」「Aor非A」と問うべきなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.23

ローソン社長

読売新聞「オンの才人 オフの達人」(05年11月21付け)にローソン社長の新浪剛史さんの言葉が載っている。

<ここから引用>
毎朝散歩をしています。午前5時頃起きて、1時間ほど散歩をしています。その時に、仕事を中心にいろいろなことを考えています。例えば、「会社の組織をどうするか」といったことです。夜は思考がネガティブになりがちなので、あまり物事を考えないようにしています。そのため、夜は早く寝ています。たいてい11時ごろで、遅い時でも12時を超えることはありません。体が資本ですから、スポーツジムにも、最近は週2回のペースで通っています。
読書の時間を極力とるように心がけていて、週3、4冊のペースで読んでいます。(略)

・氏は、夜は思考が後ろ向きになると言う。
彼には晩酌の習慣がないのだろう。…。
晩酌で気持ちが高ぶって暴走してしまう誰かさん(ぼく)とは全く違うのだろう。…。
飲まれないようにしなくっちゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.22

ノーマイカーデー

週の半ばに休みがあると、週初めのしんどい曜日でも元気が出ますね~。
ということで、昨日に引き続き今日もがんばって自転車通勤。
(木、金は戸締まりしなければならないので自転車で行くのは無理なので)

というより今日はノーマイカーデーだったそうな。
ふ~ん、こんな日が設定されていたんだ。
ずっと以前に話題になっていたような気がするけど今でもあったんやね。
でも、よく記事を読むと「初めて」の「一斉」なんですね~。
それに、今後は「年一回」の実施なんですね~。
ま、意識付けというところかな。
ノーマイカーデーの話が出たとき、「何時に職場に着いてもいいんならね~」と言って笑いをとったのは研究主任のYさんでした。


放課後は科学作品展の目録づくりのためにN小へ。
道を間違えてロスしてしまい約40分で到着。
帰りは自宅まで50分の走行。トレーニングベースで漕いだので汗だくになりました。

自宅→勤務先(30分)+勤務先→N小(40分)が、N小→自宅(50分)に一致しないということは、一直線上にならんでいないからやね。
ま、当たり前か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.21

いよいよ

いよいよ和歌山市でも二学期制がスタートするらしい。

「平成18年度より、和歌山市立中学校が2学期制を実施するに伴って、和歌山市立学校管理規則の一部を改正するとともに、和歌山市立幼小中学校の休業日の変更等に関する基準を設置しましたので、通知します」

だと。

二学期制はブームだもんね~。

授業時数確保の観点から生み出されたと思われる二学期制の考えが、三学期制を駆逐していくのでしょうね~。

ぼくに言わせれば、二学期制は「三学期制がもっていた文化(≒季節感がもたらす云々…)の破壊」に近いと思うのですが…。

また
ぼくに言わせれば、ラウンドは多い方がいいので
ゴールデンウイークで一度閉めて「そうか、今年はこういう年になるのかも…」というインターバルを入れて

再会。

という四学期制がいいなと思ったりしてますんで。

気分転換の場は多い方が、その瞬間だけでもやる気が出ますんで。←変身願望の強いぼくは。リッセットの回数が多いほどいいんで。


授業時数確保が目当ての二学期制だったら、絶対にプラス効果を生み出せませんよね。
教委の自己満足、言い訳の用意だけですよね~。

さらになんと
授業時数確保じゃなくて授業日数確保をしたいという意向があるそうな。
年間200日の授業日数確保だと。
その200日確保のために夏季&冬季などの休業日を削るそうな。

196日の授業日数でダメで、200日授業日数でOKと考えているのだろうか。
その200日の根拠は何よ。

200日の根拠は、今日の会議で質問したけど、もちろん、ない。

ということはやがては205日とか210日とかになるんか~。


授業時数、授業日数を多くすれば、世間の学力低下問題の批判をかわせると思ってる人が仕切ってるんですね~。
きっと「授業」を知らん人が。

いくら授業時数、日数が多くても、ぼくのような授業の下手なものが繰り返せば繰り返すほど、マイナスの面が出るということを知らんのですね~。

なんで「一時間の授業の中身」を言わんのやろうかね~。
えっ、それを言えばもっとピンチになるってか??

りんく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.20

やはりすごい

これはやはりすごいですよね~。

ここは「できない子をできるようにするには」という視点で貫かれてますね~。
元気をもらえます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「協同する学び」から

日本教育新聞2005年9月12日付けからの引用です。
佐藤学氏の言葉です。

<引用開始>
ここに習熟度熱指導の「麻薬」のような恐ろしさがある。なぜ、分かるまで丁寧にじっくり学べる(教える)ことができるのだろうか。内容のレベルを下げ、多くの時間を費やしているからである。すなわち、習熟度別指導においては、子どもも教師も「満足」しながら学力を低下させ、学力格差を拡大していくのである。これこそ能力による差別以外の何ものでもない。
学力低下にどう立ち向かえばいいのだろうか。私は、教師の献身的な努力によって低学力から抜け出した子どもの実例を知らない。

(略)

どんな教育によっても学力の個人差は克服できないだろう。どんな平等な教育を実現したとしても学力における正規分布曲線は消滅しない。従って「すべての子どもに百点を」という目標は正しい目標ではない。教育で追求すべきことは正規分布曲線の基軸を少しでも高位へと移すことであり、その幅を少しでも狭めることである。

(略)

次に、低学力の子どもが低学力から脱出する道筋を教師は理解しておく必要がある。教師は一般に、子どもが徐々に低学力から脱出するというイメージを抱きがちだが、現実には、低学力の子どもはある日突然、一気に低学力の状態から脱出する。学力は下から積み上がるのでなく、上から引き上げられるのである。それまでの未知の経験の累積が新しい関係を生み出すのである。
分かるか分からないかは別として、低学力の子どもたちには「背伸びとジャンプのある学び」への挑戦が必要なのである。
<ここまで引用>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.17

一段落

今年一番の大きな会が終わった。
ま、ここに至るまでいろいろあったが
全体としては大きな問題もなく終わった。

やれやれというところや。

ぼくが運営の責任者だったので、もちろん休むわけにはいかなかった。

なので、この日行われたスズカサーキットの走行会には参加できなかった(涙)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »