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2006.06.21

第1回目の研究授業

本年度1回目の研究授業が終わった。
2学期末や3学期に研究授業をすることが多いぼくにとって1学期は苦手だ。
ぼくの子ども理解のペースが遅いからだ。

題材は、讀賣新聞の投稿記事。
例によって(?)、投稿内容に賛成か反対かを問い、話し合う授業。

新しい試みも取り入れた。
板書を子供にさせるというものだ。
書記役の子供に書かせるというのではない。
自分が言った内容を要約して自分が板書するのだ。

板書はぼくが(要約して)書いていたが、どうもぼくの心に残った言葉だけしか書けていないような感じがしていた。ぼくに都合のよい言葉(だけ)を書いているのじゃないかと思うようになってきていた。
ならば、本人が一番言いたいことを書かせればいいのじゃないかと考えたわけだ。
もっとも、この日、初めて試みたのでスムーズには行かない面も当然あった。
①書かせるタイミングをいつにするか。
言い終わってからすぐに書かせるか、それとも今回のように書く時間をとるかだ。

②板書の言葉も、さすがに長かった。2行分ぐらいの分量になった。
1行で、言いたいことをズバリと書かせたい。

さて、協議会である。

研究テーマに沿った授業づくりというところがどうにも分かり合えない。

うちのサブテーマは「伝え合う楽しさを求めて」というものだ。
ぼくは、これを「自分の考えを友だちに伝え合う楽しさを知っている(より多くの)子の出現を求めて」と読み替えて授業する。
指導案にもそのようなことを書いている。

ところが、集録に載った去年のぼくの実践をボスは「いつまでも、こんなことをやっていていいのだろうか」と言う。もっと大造じいさんの人間性や何やかやを読み深めるべきではないかという。
ちなみに去年は「大造じいさんは残雪に勝ったのか負けたのか」で話し合った。

ぼくは、今のテーマがこれだからこのような授業をしたのだ。
もしテーマが「確かに読み深め…」というようなものであれば、去年や今日のような授業展開はしない。

同じ題材を扱っても研究テーマによって授業展開は変わるのではないかと言ったが、どうも分かってもらえないようだ。

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