« 『図解フィンランド・メソッド入門』 | トップページ | 『漢字は日本語である』 »

2008.08.10

『ニッポンには対話がない』

『ニッポンには対話がない』北川達夫×平田オリザ(三省堂)
元外交官の北川氏と劇作家・演出家の平田オリザ氏の対談集。

<討論の授業に至るまで、どのような考え方で指導すればよいかのヒント>
「ある意見が正しいのか、それともまちがっているのか、それは本来的にはだれにもわからないことです。意見なんて、突きつめていえば、どの根拠が事実として正しいかどうか、あるいは意見と根拠が適切に関連づけられているかどうかでしか評価できないものなんですから」p39
「いろいろな意見が出てくる状態をよしとしなかったり、あるいは、いろいろな意見が出ても結局は決まった結論に導いてしまったりしていると、その場に参加している人たちからは意見が出にくくなっていきます。やっぱり何が正しい意見なのか、何がまちがっている意見なのかということをまっさきに人は考えてしまう」p40

<発言のさせ方>
「教室によく貼ってあるのは、どちらかというと『思考の型』なんです。論理の回路を頭のなかにつくるということ。そういう『思考の型』としては使えるんですが、『表現の型』ではないんですよ。『ある意見があって、それを支えている理由はというと、それは、理由一つ目、二つ目、三つ目……』と考える。そのあと『それをどう言うか』というのは、これは個々の表現の問題です。もちろん最初のうちの、うまく言えないあいだは『思考の型』にどって言ってもかまわないんですよ」p104
「相手とのコミュニケーションのなかで、相手がわかっているのに『なぜかっていうと』なんて言うのは表現としてもとても変なわけで。だれも聞いてもいないし、疑問に思ってもいないのに、いちいち理由を説明するんですからね」p106

そういえばCD「やまなし」の向山学級の子たちは、型にはまらないしゃべり方をしていた。

<彼我のコミュニケーションの違い>
「落書きはだめだという道徳観を共有しているのならば、『だめなものはだめだ』でも、それはそれでコミュニケーションとして成り立つんですよ。そうなんですけれども、それが通用しないレベルでのコミュニケーションがいまの世界でもとめられているんだということなんですね。そういったレベルの発想は日本の教育では求めてこなかった」p153

<方向性の違い>
「ヨーロッパ人と対話をしているときと日本人同士と対話をしているときとでいちばん大きく違いを感じることは、日本人だと対立を回避する方向で話が流れていきますね。それで、いま言われたようにすぐ、まあまあまあと、見解の違いはさておいて、というふうになりがちですね。ヨーロッパ人たちと対話をすると、対立点を積極的に見つけていくんですよね。意図的にどんどん対立させていって、お互いが考えているところと少し違う次元のところに話をもっていこうとする」p166

<「対話」と「議論」「ディベート」との違い>
「議論やディベートは相手を説得することが目的だから、妥協というのは、お互いに説得に失敗したということで否定的にとらえざるをえない。しかし、対話というのは、価値観を意図的に衝突させ、それによってお互いに変わっていく作業なのですから、ある意味で前向きに妥協点を探す作業ともいえるんですね」p168

<将来起こりうる移民問題>
「20年後には、日本の全人口の10%なり20%なりは移民で構成されることになります」p176
「同じ集合住宅に、イラン人とドイツ人と日本人とが住んでいて、ゴミの出し方とかカラスよけのネットをどうするかについて話し合うシュミレーションを子どものうちから徹底的にしないといけない。これは、ディベートですむ問題ではないんです」p179

|

« 『図解フィンランド・メソッド入門』 | トップページ | 『漢字は日本語である』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/27801/42123080

この記事へのトラックバック一覧です: 『ニッポンには対話がない』:

« 『図解フィンランド・メソッド入門』 | トップページ | 『漢字は日本語である』 »