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2010.10.19

「目標」の文とは

「活動」に「ことができる」をつけても「目標」の 文にはならないのだそうだ。
例えば、
「~についての自分の考えを意見文にまとめて発信する」
これは「活動」。

これに「~についての自分の考えを意見文にまとめて発信することができる」としても、「目標」の文にはならないのだそうだ。

これは、ある小学校の研究会の事前研で聞いた話。
こんなことをサラッと言えるのはすごいと思うな。
ボクらと住んでる環境がちがう。

正直、CD6でサーキットを走っているのと同じ、場違いな雰囲気を感じました(^^;)

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2010.10.17

発信できる子に

自分の考えを発信できる子になってほしいと願っている。
しかし、学級の子どもたちの約三分の一の子はどちらかといえば発言が苦手のようだ。
この子たちは「3センチメートルです」「主人公はおみつさんです」のような、「答え」を言うことはできる。しかし、自分の「考え」や「理由」を述べる段になると尻込みをしてしまう。ましてや学級全体の考えが深まろうとして(こんなことあるのか?)論点が微妙に変化するときは、ついつい受信する側にまわってしまう。

授業中に考える話題(課題)は、真理や事実にもとづいて考えればよいことが多い。つまり自分たちの身の回りの人間関係を意識することは少なくてすむ事柄である。友だち間の力関係はニュートラルだと言ってもよい。そのような授業の場で自分の考えを発信できる力がなければ、休憩時間や放課後に友だちの中で自分の本当の思いや考えを伝えられるはずがないではないか。結果、自分の本意ではないのに、影響力の強い友だちに引っ張られて行動してしまうということにつながっているように思えてならない。

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2010.10.13

無事終了

隣の○くんの研究授業日。
『マジシャン』(←あれっ、変換ミス)を授業した。
資料を読み終えた後、「どんなことが心に残りましたか」と定番の質問(「発問」とは言うまい)の時の手の挙がり方の少なさから“前途多難”“長~い45分間”を予想させたが、何とか乗り切った。
むしろ、後半の発問「どうしてすばらしい手品を演じられたん?」「約束果たしたからだけか?」などでは挙手する子の数が増えた。
子どもとの繋がりは切れていないことを実感することができた。
協議会での受け答えも、自分の言葉で言えていた。
自信を持って後半戦に臨んでほしい。

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2010.10.02

若さ

借り物競走で借りられて、グラウンドを何周もしている若者を見ると、正直うらやましいな~と。
(野中氏は本当に偉大だ。)
おまけに、借りられる側では終わらず、自分たちがメインとして出演してしまった。
2周も!
体育主任の良いノリだった。一番和んだ時だと思う。

夜は打ち上げ。
ここでは若者と互角(笑)。

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2010.10.01

運動会前日

明日の準備。
もちろん若者が動く。
年寄りで動くのは、口と指先(指図の)だけ。

例えば、まっすぐにラインを引くには、ライン引きを乳母車のように押さず片手で持って引く。(「コロコロ」と同じ)
このときなるべく遠くを見て、脇を締めるのがコツ。
例えば、リレーのスタートラインの弧。
中心をどこにとるか。など。
知らない人が意外と多い。

でも、若者を弄りながら年寄りが、ああでもないこうでもないとグチャグチャ言っているのはなかなか良い雰囲気だ。
ほぼ全員が集まってなので一体感がある。
というのも、
去年は、新型インフルエンザの影響で運動会自体がなくなってしまったのだ。
となると、老人たちはおそろしいもので、前任校ではこうだったけど、という枕詞つきで話すのだ。
だれも二年前はこうだったとは言えないところがグチャグチャの元になる。(笑)

4年前、ボクがこの事務所に来たときはそうでもなかった。
5,6年の♀学年主任二人が、お互いをライバル視して開放的でなかったのだ。
でき足りていないことを指摘しあうなど、どこかギスギスしたところがあった。
その二人も転任し、各チームが穏やかになったのだ。

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