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2011.08.24

向山洋一『デジタルアーカイブシリーズ「ふるさとの木葉の駅」』を聞いて

氏の36歳の時の授業。対象は6年生。1981年5月14日の授業。

まず、発言の仕方が鍛えられています。
次のようなやりとりがあります。

C:「僕は、井上さんが「母がいない」と」
と言った瞬間に、向山氏が
T:「いい。自分の発表だけでいいから」と時間短縮を図った言葉を言っています。

この授業にはいっぱいやることがあったので切ったのだと思いますが、
前に言った子の発言につなげて、というか、そういうルールがあり身についているのがわかります。


次に、発言する子の声の自由闊達さが印象的です。
伸び伸びと発言しています。
ボクの学級のように、発言をしなければいけないから発言をしているという雰囲気はありません。
自分の考えに自信を持っているというか、喜んで言っているという言い方です。


さらに、自由度です。

C:駅に一回電車が止まっちゃって、
T:止まっていないって言ったよ、さっき。
C:止まってないけど僕の場合止まったの。止まった。ローカル線だから止まっちゃった。(略)
T:なるほどね。
というくだりがあります。

先ほどまでの話し合いの中で、止まっていないということが前提となっているにもかかわらず、「僕の場合止まったの」と言える子がいます。
さらにそれを「止まっていないって言ったよ、さっき」と言った後、子どもの考えを聞いて「なるほどね」と受け入れる懐の深さが見えます。

『教師の成長は子供とともに』向山洋一(明治図書)のp91に
「こう考えると、向山先生の授業は、独自の考え方や個性ある意見を持つことをねらいとした、一人一人を生かす授業なのではないか」と、この授業を参観した横浜国立大学生が書いた文が載っていますが、
一人一人の考えを生かすというのは、こういう子どもが現れることだと具体的に示してくれているように思います。

極めつけが
この授業が5月14日におこなわれたことです。
この学級は、持ち上がりだったのでしょうか、それとも組み替えがあったのでしょうか。
前者であれば、「ま、なんとなくこういう雰囲気の学級はわかる」と言えますが
後者であれば、…。とんでもないこと。…。ですね。

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