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2012.10.12

難しいものだ(2)

(1)について
子どもたちが同時に言い出し、声の大きい者が勝ちみたいな雰囲気は、勢いが出て授業の雰囲気が明るくなるので好きだが、ま、こんなことをしている時期は今までだったら5,6月の頃。
つまり、今の学級の状態はそんな段階なのだ。
でも、カブって聞き取れないというのはその通りで、直していこうかなと思う反面、カブっているときは「ボクも~に賛成で…」という前口上みたいなところだから、そんなに真剣に聞かなくても済むところだ。「わけは…」と言うようになっているときには、必ず一人が言っているのだから今のままでも良いのかも知れないという気もする。

(2)について
子どもの言ったことを書かないのであれば、板書は要らないのではないかなと思う。
要約を書いているからそれを使って子どもたちが発言できるのだと思う。
4月に今の学校で聞いたセリフだが、「究極の『書く』は、メモだ」と言う。教師に言われなくても書いているからだと聞いた。
それはわかるが、そんなことができるのは、いわゆるできる子だ。
いわゆるできない子が板書の要約を見て、何か自分の考えをまとめられればそれでいいではないか。
板書は子どもがそれを学習に使っているかどうかで(板書された言葉を見ながら発言をしているとか)良い板書云々を判断すべきだ。たとえ子どもが盛んに発言していても板書の言葉を見ていなければ、その板書は必要ないのだ。

(3)について
同意。
女子には来週から「なるべく見ずに。チラ見はOK」でいこう。とするとノートに書くのも文章ではなく文節か単語でという指導がいるな。
応えられない女子もいるはずだ。
男子は今のままでもOKということにしておかなければ授業に参加するのはとても無理。

(4)について
討論型の授業でどんな出方があるのだろう。
悩ましいところだ。
「わたし、○○くんの意見を採り上げて、そちらの方にいくのかと思った」と見てくれた女史。
でも、討論型で教師が方向付けを計ると、一学期頃にボクが感じた「先生、導きの言葉を言ってください」みたいな雰囲気を感じることになってしまうのは確実だ。
今ようやくボクの一言を待たずにというか意識せずに、自分たちの考えを出し合えているのに。
でも、研究会当日も参観者からここを指摘されるのは分かっている。

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