« 疑問 | トップページ | 現場は今 »

2018.02.05

これが最後かもの研究会参加

「わらぐつの中の神様」の「中の」はいるか、という課題で研究授業が始まった。
この課題は討論の形にはなりにくい。
本文の一部を根拠に挙げても、要るか要らないかの理由はその子の解釈の域に入るものだから。かみあわない。説得はできない。
授業者も討論を狙っていない。ならば、なぜこの課題にしたのか。←これを協議会で尋ねればよかったのだ。It's too lateや。
さらに、座席表を見ると「いらない」と考えた子は、明らかに国語の力が弱い子、なのだそうだ。ならば、なぜこの課題にしたのか。←これにはなんとなく見当がつくけど、これも質問をすればよかったのだ。
一日たってから浮かんできてもIt's too lateや。

もう一人の彼。これはどうよ。
『学び合い』じゃない。形だけふりをしても、強烈な願いがこもってないからあかん。
「まだノートに一つも書けていない子が二人います」と、あのタイミングで言うか(怒)。
活動時間が残り少なくなって、そんな時にそれ↑を言って二人の何が変わったのか。
教師にはこの二人の子に対する強い願いはない。

ペアで話し合いをさせる活動をよく見るようになった。
なんのためにその活動を取り入れるのだろう。
ペアの話し合いが終わって一斉授業に戻ったとき、いつも発言する子がいつものように手を挙げ、教師が指名し授業が続く。
いつも発言する子を相手に授業を続けるのなら、ペアで話し合うことは要るか。
要らない。

「一人も見捨てない」という言葉を教室で発するのは抵抗があったけど、教師の心の中には常駐していないとあかんわな。

|

« 疑問 | トップページ | 現場は今 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/27801/66360939

この記事へのトラックバック一覧です: これが最後かもの研究会参加:

« 疑問 | トップページ | 現場は今 »