2017.11.17

研究会に参加した

昨日参加の許可をもらった会に参加。(独自の研究会じゃないから(市一斉の研修日にのっての研究会)昨日、研究所所長に許可をえたのだ)
で、午前中は『作文の論理[わかる文章]の仕組み』(宇佐美寛)を再読。
研究で使う文章は多義性のない言葉が使われていなければならない。ましてや比喩を使ってはいけない。でも、今日、参加する学校の研究冊子の文章はレトリックというか比喩が多いんよな。

授業学級はとても温かい雰囲気だった。この雰囲気を作ったのはもちろん担任。ボクの最後から二校目に新採で入ってきたおねいちゃん。
そして、授業を見ているときに感じたのはcodomoと担任の距離の近さ。これをこれだけ感じさせられると、再任用などで行かなくて良かったとつくづく思ったほど。ボクはもう小学生の感性にはついて行けない。

協議会は、この学校独自の言葉「的」が、やはり参観者に多義的に解釈されていた。

も一つ悪かったのは司会者。某小学校の共闘だが司会が下手。
下手な司会の共通点の一つ目は、参加者の誰かが言ったことに対して必ずと言っていいほど自分のコメントを入れる。そのコメントは発言者の言った中身を狭めてしまうということに気づいていない。要約に過ぎないということに気づいていない。そして、自分の要約に過ぎないことを使って次の発言を促すものだから(狭められているから)言える人が少なくなってくる。
さらに二つ目は、次の発言者が言うまで待てない。5秒も待てない。
この人、現場の時は、授業、絶対、下手やったやろな。
自己紹介の時に、発言者がなくなったら端から当てますので、と言うくらいの人。
ほんまに端から当てようとしたとき、たまりかねて手を挙げて「的」について発言をした。
その後、司会者は待てないから端から当て始めた。ということで、協議会はここまで。
当てられた人は教師だから(≒おしゃべりが好きだから)なにかとしゃべれるけど、それは主に自分に関係したことが多い。せっかくの今日の授業についてはほんの少し。さらに自分より前に話した人の中身とのつながりは殆どない。そんな悲しい内容で最後の時間まで。

帰ろうとするとすると、授業者の彼女が廊下に出てきて挨拶に来てくれた。
見に来てくれて嬉しかった。もうボクの授業は見られないのですね。○○を教えて下さい。と。
嬉しい言葉であった。

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2017.11.09

伝説はいまだに

最後の勤務校に置き忘れていたアンプを回収に行く。音専の先生に言われて持って行っていたもの。退職の時、持ち帰るのを忘れていて、近頃、ネットの買い取り広告に同じ機種の写真が出るので思い出したのだ。

ちょうど下校時刻で職員室には事務の人しかおらず、ほんのちょっとの立ち話。
廊下を歩いていると「あっ、○○先生!」と声をかけられた。
名札を見ても知らない名前。過去担任した誰かのきょうだいではなさそう。で、なんで知ってるのと尋ねると「終わりの会がメッチャ短くて早く帰れて、宿題も殆どない先生って聞いてる」とのこと。まだ噂は残っているんだ。

codomoは知らないが保護者間にはもう一つ噂話がある。
ボクの学級になると基礎学力が上がる、というもの。
最後から二校目の調理師さんがここの保護者で、教えてくれた。「先生、噂になってるで」と。

砲火後にノートの丸付けなんかしない。ノートを見るのは子どもがいる時間帯。間違っていれば給食時間の隙間時間に呼んで教える。書いて間なしだから、訂正されるとすぐに受け入れられる。(そのための給食時間の隙間時間を使えるように、午前の時間割を組む)
テストの解説はテスト終了後。問題をやり終えたホヤホヤの頭に解説を入れるからテストで間違っていたとしても力になるのだ。テストは次の日に返す。
砲火後にタラタラ丸付けしててもcodomoの力にはならない。1か月以上後にテストを返されても、忘れてしまっているから力になるはずがない。

色とりどりのチョークで黒板に書いても、力にはならない。壁面いっぱい掲示物を張っても薄暗くはなるけど力にはならない。
力にならないことは“いたしません”(笑)。

最後の約10年は「力をつけること」に特化してたな。
砲火後は職員室で凶夢主任の仕事。
16時50分、勤務時間終了と同時に退勤。遅くても17時に退勤。腹をくくればできる。(学年主任じゃなかったからできた)

以上、“ティーチャーX”からでした(笑)。

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2017.10.31

オファー

市脅威からリリーフのオファーがあった。
そらまぁ、下手な若手より技&引き出しは多いし使いこなせる自信がある。いまだに。
二週間あれば、点数が上がったとcodomo&保護者に言わせる自信がある。
おまけに半年やし。
でもね、エラそうな態度になって出るのが分かってるし…。そんな自分がイヤやし。
それにセンスもついていかんやろう。

ピンチな学校に一肌脱ぐというのが筋(恩返し?)かもしれないけど…。
お声をかけて下さるだけでありがたいです。と言ってお断りした。

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2017.08.23

潮時かも

単車と荷物の準備はできたけど…。暑いやろな。ということで、「乗る喜び」より「不安感」が多い今日。もう潮時かな。

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2017.08.05

はらたつ

この土日は全国大会的レベルの研修会が多い。かつては旅行も兼ねてあちこち出かけたけど、もはやそういうわけにも行かず、参加している市の国語の会に行った。(午前中)。
授業があった。
いつも思うことだけど、なんで手の挙げている子中心に授業を進めるんだろう。手の挙げいていない子に手を挙げさようということに留意しないんだろう。
手の挙げていない子のために~すれば、というようなことを言うと、よく技術主義と言われた。
でも、四分の一ぐらいの手の挙がる子だけを相手に授業をしていてはあかんやろ。
ということを、もう一回ぐらいどこかの研究会で言ってから完全に足を洗おう。
『学び合い』を少しかじった後では、挙手氏名の従来型の授業は見ていられない。

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2017.06.07

息子の研究授業

今日は息子の研究授業の日。
6年、円の面積を『学び合い』でする。
息子は楽しみで仕方がないらしい。スゴいもんだね~。
ま、従来型の授業のように、教師が発問したとたんシーンとなってしまうことはないからね。
協議会で、いわゆる算数の授業というものは…というような意見が出されたら、子どもの発言内容で答えるべし。そして、いわゆる論ではどのような子どもの発言や様子を期待するのかを質問しろ、と言ってある(少し前に)。
その協議会もKJ法形式と普通の協議会形式が選べるのだそうだが、後者を選んだらしい。KJ方式は間接的だからな。

さてさて今晩一緒に呑むのが楽しみだな。ボクがおねむになる前に帰ってこいよ。

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2017.04.17

それっていつまで

【「きのくに國語の会」教育随想の原稿その一】
2月の終わりに「示範授業」を見た。(日程説明のプリントに「示範授業」と書かれていた)6年生の3学期である。
この学級では誰かが発言をするとみんなが拍手をするようになっているらしい。初めの頃は拍手はなかったが、しばらくすると普段通りにか拍手が出始めた。
授業者は言った。「拍手があると勇気づけられますね」
それからずっと誰かが発言する度に拍手があった。発言、拍手、発言、拍手…である。
私には子どもの発言の間の悪さが気になった。拍手が終わるまでは次のことを言えないのだ。(その子たちにとっては、それが日常のリズムになっているのだろうけど)
この学級では、侃々諤々と子どもたちの意見が飛び交う授業は難しいだろうと感じた。

「うん、うん」「へーぇ」と相づちをうちながら、体の向きを変えて友達の発言を聞く授業を見ることがある。一言も逃さず聞き取ろうとしているように見える。
 だが相づちをうたなくても、体の向きを変えなくても聞けるものなのだ。
形式的な「うん、うん、へーぇ」をやり続けていると、本当に心が動いたときの驚きの声が埋もれてしまう。
一年間の授業の中では教室にだけ見られる不自然な形を取り入れる時期もあろう。形式を強いる時もあろう。しかし、いつまでそれをするのだ。どうなればそれをやめて次の段階に進むのか、という見通しを持つことが必要だ。その基準があるからこそ、目の前の子どもの現状を把握し評価できるのだ。
教育という営みは、それを必要としない人間に育てていくものなのだから。

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2017.02.06

研究会

元の職場の研究会。
8時10分着。駐車場は運動場。こんなチャンスはない。ちょっと右足に力を入れて運動場をブォンと。
校務員さんがY先生、来たとすぐ分かった。と言う。
さらに、後で聞いた話だが3年生の数人が「アコード来た!」と朝の会の時に大声を出したらしい。「GN+」の音色はまだcodomoの記憶に残っている(笑)。

控え室は体育館。
入ると壁一面に貼られているポスター(授業で使ったもの)。去年はなかった。これも後で聞いた話だけど、ここまで貼るのは全国大会級らしい。これを見て、ああダメだと思った。
校長は多分、わざわざ作るんじゃなく実際に授業で使ったものを貼るのだから負担は少ない、とかなんとか言ったに違いない。でも、作る(残す)のが目的になってしまい、本当につけなければいけない「~の力」には目が行きにくくなる。本当につけなければいけない力がついたかどうかは、紙やきれいな板書では表せないものだ。
一限。ボクには珍しく三つの教室を回る。(一つの所をじっくる見るのがボクのスタイル)
一つ目。課題がつまらない。ボクなら「スズキとトヨタどっちの車を買う」で切り込んでいくか。二つ目。6年のこの時期にまだノートを読んでいる。読めば伝わらないと今まで何度も(教師が協議会で)言われているはず。三つ目。グループの話し合い。なぜ固定されたグループ?グループの話し合いの効果はあった?そんなことを考えているのだろうか。形。
二限。研究授業。
教師が引っ張る、引っ張る。そして、ここが大事と教師が思ったところは必ずある言葉が入る。テープ起こしをすれば分かる。(←協議会で言った)教師主導の授業があってもいい。それを自覚さえしていれば。
15分も伸びた。教師の都合で。聞きたいと言って。会議の始まりの時間や〆切日を守らない人である。

子どもの発言を聞いている教師の頭の中のように、(すべての)子どもの頭の中は、互いの発言がつながっているのか。何人の子が45分の中の発言をつなげることができているのだろうか、という意識が必要。子どもの一連の発言を聞いて、一番学習したのは教師だったというのでは笑えない。

そして、この研究主題なら「アクティブ・ラーニング」の考えを入れた授業ができるのに、誰もやっていない。(全部見てないけど)
若い教師は誰かが「アクティブ・ラーニング」を指導してくれるのを待っているのか。
でも、新採指導の人も、管理職の人も、脅威の人も指導はできない。なぜなら、「アクティブ・ラーニング」という言葉がでたのは平成20年。すぐに知って自身の実践に取り入れていないと、前に書いた人は既に自分の実践を終えている頃。
「アクティブ・ラーニング」の考え方を取り入れた実践はまずできていない。すると「発見学習、問題解決学習、経験学習(略)グループワークなど」のいっぱい方法を書いたところから自分の知っている(やってきた)方法に落とし込んで言うことになる。酷い話になると、今までと何も変わらんという人がいるかもしれない。

だから30歳前後の人は「アクティブ・ラーニング」を教えてくれるのを待っててはいけないのだ。

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2017.01.16

『病気の9割は歩くだけで治る!』

『病気の9割は歩くだけで治る!』長尾和宏(山と渓谷社)
あっという間に読めます。
薬を出すだけなら医者でなくても出せる、という考え方に惹かれました。仕事をしていたとき、実習生でもできること(砲火後の○つけ等)をしていては仕事人としてダメと言い聞かせていたからです。
注文中の『薬のやめどき』も楽しみです。

JOGは「着地時に体重の3倍の負荷がかかる」らしい。
だからJOGからWalkに変えるかな。
ということで、『ビッグコミック』を買いにコンビニ往復、3.1キロのWalk。

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2016.11.16

また行った

市一斉の研修会第2回目。
前回と同じく研究所長を通して(許可をえて)、ある学校の国語の研究授業を参観した。

その学校では今年から「的」というキャッチー(?)な言葉を使って研修を進めている。
でも研究主題達成のための手段であるべきはずの「的」をどう達成するかが悩みの種になっているらしい。
それを聞いて、本末転倒だ、というようなことを協議会で発言した。

授業者の若い教師が子どもの発言に対して「それって、どういうこと」と聞き直す。これはこれで悪くはないのだが、最終的には「それってどういうこと」「もう一回言って」みたいな言葉が子どもから出るように、今後、意識していけば、というようなことも続けて言った。
研究の方法についてと本時の教師の行為について言ったつもり。

後ろに座っている人が「感動した。あれだけ語れる子がいる。あの子たちだったら、さらに…」と言った。
2,3人のしっかり話せる子の発言を念頭に置いて、学級全体ができているとでもいうような物言い。こういう言い方をよく耳にする。
「子」が、「子たち」や「この学級の子(全員)」に増加するのだ。
以前から気にはなっていたが、『学び合い』の「一人も見捨てない」という考え方を知ってしまった後ではなおさら、先のような言い方は寒々しさを感じて仕方がない。「あれだけ語れる子」に全員到達させるには、というベクトルに話が向くべきだと思うのだ。できていない子を見なさすぎる。

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