2018.06.22

本を読め、若者

本を読め
久しぶりにギョーカイ本『2030年教師の仕事はこう変わる!』。
今変わりつつある制度をもとに論を展開しているからいつものように説得力あるもの。
でも、本を読まない息子はこういう世界が来るであろうことを想像できない。

今、彼は「的(まと)」という言葉にもてあそばれている毎日。
「的」という言葉を設定したBossは、もう退職して(おそらく若手を指導する仕事に就いているだろうけど)その学校にはいないのに…。そして「的」について深く勉強をしたくてもそんなことを書いた本はない。だから多義性のある「的」という言葉を巡ってあれやこれや…なんだろう。
こう考えると、キャッチーな言葉を用いたBossは罪深いね。Bossは数年で変わるのに。Bossがいなくなったその年から変えりゃあいいけど、そんな勇気のある若者はいない。
なんで先人の研究に学ぼうとしないのだろう。
ま、殆どのcodomoが塾に行ってるらしいから…。…。

お断り。
この頃息子と職場等の話をしていないので1行空き以降は酔っぱらいの単なる妄言です。

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2018.05.19

免許証更新

ボクらは免許更新制度の一期生だった(笑)。

当時の日記(2009.6.27)を読み返してみる。
全3回のうち第1回目は地元の大学で。1回6000円の受講料。
講師の人は同じ歳らしく自己紹介の時「下手をすればそちらに回っていたかもしれません」なんて一発目から、ムカつくことを言った。そうでなくても「え~、なんで降って湧いたように免許更新!いっこ上の人は受けなくてもええのに」と制度化された時からずっと不満だったのだ。
そして「向山洋一を知っている人は手を挙げて下さい。小学校の先生。…。中学校の先生。…。高校の先生。…。ほらね、上に行くにつれて知ってる人が少なくなる」と(当たり前で)またまたムカつくことを言って五色百人一首に対抗した(悪意を持って)百人一首の何かの講座を始めたのだった。
で、何が残っているかというと、最後の論述(?)でシャーペンを持つ手がジンジン痛くなってきて、思うようには書けなかったこと。

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2018.05.12

FadeOut

明日が雨予報なので籾まきを今日にした。おかげで国語の会に行けなくなった。
こんなふうにFadeOutして行くんだろう。そして、これが正常な姿なんだ。

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2018.03.17

やかましい なあ

時事ドットコムニュース>政治麻生氏、やじに「やかましい」より、引用

見出し「麻生氏、やじに『やかましい』」

本文「麻生太郎副総理兼財務相が16日の参院予算委員会で、答弁中にやじを浴び、いったん答えるのをやめて『やかましいなあ。聞きたい? じゃあ静かにしていただけますか』といらだちをあらわにする場面があった。」

映像を見たけど…。
「やかましいなあ」は苛立った言い方には聞こえなかった。

見出し。
「やかましい」と「やかましいなあ」では、与える印象が随分違う。
メディアリテラシーで扱うのも面白いかもしれない。

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2018.02.26

記事

昨日、一昨日の呑みもクールに呑めたはず。だいぶこの環境にも慣れてきた。

22日の産経新聞の記事。(ラジオでパーソナリティが感動しまくって言っていたので思わずコンビニで買ってしまった)
実習生が事前に(あっという間に)顔と名前を覚えたり、最後の日に一人一人に手紙を書いたりするのは、ほぼ当たり前のことなんやけどな~。
ボクが担当した実習生もみんなそうやった。
顔と名前を覚え、手紙を書いた高木美帆選手のことを悪く言いたいのではなく(むしろファン)、そういうふうにというか、現場の実状を詳しく知らないまま(調べないまま)記事になって広まっていくのだな~と思った次第。

(「高」は、ハシゴの方かな?)

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2018.02.24

現場は今

22日の産経新聞の記事。(ラジオでパーソナリティが感動しまくって言っていたので思わずコンビニで買ってしまった)
実習生が事前に(あっという間に)顔と名前を覚えたり、最後の日に一人一人に手紙を書いたりするのは、ほぼ当たり前のことなんやけどな~。
ボクが担当した実習生もみんなそうやった。
顔と名前を覚え、手紙を書いた高木美帆選手のことを悪く言いたいのではなく(むしろファン)、そういうふうにというか、現場の実状を詳しく知らないまま(調べないまま)記事になって広まっていくのだな~と思った次第。

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2018.02.05

これが最後かもの研究会参加

「わらぐつの中の神様」の「中の」はいるか、という課題で研究授業が始まった。
この課題は討論の形にはなりにくい。
本文の一部を根拠に挙げても、要るか要らないかの理由はその子の解釈の域に入るものだから。かみあわない。説得はできない。
授業者も討論を狙っていない。ならば、なぜこの課題にしたのか。←これを協議会で尋ねればよかったのだ。It's too lateや。
さらに、座席表を見ると「いらない」と考えた子は、明らかに国語の力が弱い子、なのだそうだ。ならば、なぜこの課題にしたのか。←これにはなんとなく見当がつくけど、これも質問をすればよかったのだ。
一日たってから浮かんできてもIt's too lateや。

もう一人の彼。これはどうよ。
『学び合い』じゃない。形だけふりをしても、強烈な願いがこもってないからあかん。
「まだノートに一つも書けていない子が二人います」と、あのタイミングで言うか(怒)。
活動時間が残り少なくなって、そんな時にそれ↑を言って二人の何が変わったのか。
教師にはこの二人の子に対する強い願いはない。

ペアで話し合いをさせる活動をよく見るようになった。
なんのためにその活動を取り入れるのだろう。
ペアの話し合いが終わって一斉授業に戻ったとき、いつも発言する子がいつものように手を挙げ、教師が指名し授業が続く。
いつも発言する子を相手に授業を続けるのなら、ペアで話し合うことは要るか。
要らない。

「一人も見捨てない」という言葉を教室で発するのは抵抗があったけど、教師の心の中には常駐していないとあかんわな。

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2018.02.01

疑問

「書くこと」のために文学教材を読ませることは、「イ 目的に応じて,本や文章を比べて読むなど効果的な読み方を工夫すること」にはつながっていないのか。

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2017.11.17

研究会に参加した

昨日参加の許可をもらった会に参加。(独自の研究会じゃないから(市一斉の研修日にのっての研究会)昨日、研究所所長に許可をえたのだ)
で、午前中は『作文の論理[わかる文章]の仕組み』(宇佐美寛)を再読。
研究で使う文章は多義性のない言葉が使われていなければならない。ましてや比喩を使ってはいけない。でも、今日、参加する学校の研究冊子の文章はレトリックというか比喩が多いんよな。

授業学級はとても温かい雰囲気だった。この雰囲気を作ったのはもちろん担任。ボクの最後から二校目に新採で入ってきたおねいちゃん。
そして、授業を見ているときに感じたのはcodomoと担任の距離の近さ。これをこれだけ感じさせられると、再任用などで行かなくて良かったとつくづく思ったほど。ボクはもう小学生の感性にはついて行けない。

協議会は、この学校独自の言葉「的」が、やはり参観者に多義的に解釈されていた。

も一つ悪かったのは司会者。某小学校の共闘だが司会が下手。
下手な司会の共通点の一つ目は、参加者の誰かが言ったことに対して必ずと言っていいほど自分のコメントを入れる。そのコメントは発言者の言った中身を狭めてしまうということに気づいていない。要約に過ぎないということに気づいていない。そして、自分の要約に過ぎないことを使って次の発言を促すものだから(狭められているから)言える人が少なくなってくる。
さらに二つ目は、次の発言者が言うまで待てない。5秒も待てない。
この人、現場の時は、授業、絶対、下手やったやろな。
自己紹介の時に、発言者がなくなったら端から当てますので、と言うくらいの人。
ほんまに端から当てようとしたとき、たまりかねて手を挙げて「的」について発言をした。
その後、司会者は待てないから端から当て始めた。ということで、協議会はここまで。
当てられた人は教師だから(≒おしゃべりが好きだから)なにかとしゃべれるけど、それは主に自分に関係したことが多い。せっかくの今日の授業についてはほんの少し。さらに自分より前に話した人の中身とのつながりは殆どない。そんな悲しい内容で最後の時間まで。

帰ろうとするとすると、授業者の彼女が廊下に出てきて挨拶に来てくれた。
見に来てくれて嬉しかった。もうボクの授業は見られないのですね。○○を教えて下さい。と。
嬉しい言葉であった。

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2017.11.09

伝説はいまだに

最後の勤務校に置き忘れていたアンプを回収に行く。音専の先生に言われて持って行っていたもの。退職の時、持ち帰るのを忘れていて、近頃、ネットの買い取り広告に同じ機種の写真が出るので思い出したのだ。

ちょうど下校時刻で職員室には事務の人しかおらず、ほんのちょっとの立ち話。
廊下を歩いていると「あっ、○○先生!」と声をかけられた。
名札を見ても知らない名前。過去担任した誰かのきょうだいではなさそう。で、なんで知ってるのと尋ねると「終わりの会がメッチャ短くて早く帰れて、宿題も殆どない先生って聞いてる」とのこと。まだ噂は残っているんだ。

codomoは知らないが保護者間にはもう一つ噂話がある。
ボクの学級になると基礎学力が上がる、というもの。
最後から二校目の調理師さんがここの保護者で、教えてくれた。「先生、噂になってるで」と。

砲火後にノートの丸付けなんかしない。ノートを見るのは子どもがいる時間帯。間違っていれば給食時間の隙間時間に呼んで教える。書いて間なしだから、訂正されるとすぐに受け入れられる。(そのための給食時間の隙間時間を使えるように、午前の時間割を組む)
テストの解説はテスト終了後。問題をやり終えたホヤホヤの頭に解説を入れるからテストで間違っていたとしても力になるのだ。テストは次の日に返す。
砲火後にタラタラ丸付けしててもcodomoの力にはならない。1か月以上後にテストを返されても、忘れてしまっているから力になるはずがない。

色とりどりのチョークで黒板に書いても、力にはならない。壁面いっぱい掲示物を張っても薄暗くはなるけど力にはならない。
力にならないことは“いたしません”(笑)。

最後の約10年は「力をつけること」に特化してたな。
砲火後は職員室で凶夢主任の仕事。
16時50分、勤務時間終了と同時に退勤。遅くても17時に退勤。腹をくくればできる。(学年主任じゃなかったからできた)

以上、“ティーチャーX”からでした(笑)。

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