2010.12.19

吟味読み

『ニュース番組作りの現場から』(光村図書五下)は、全12段落で構成されている。
序論は第1段落。
「ニュース」「特集」などの定義が書かれた後、「ここでは、あるニュース番組で、防災訓練が特集として取り上げられるまでの過程を見てみましょう」という誘いの文に続いて、第2段落から本論が始まる。

本論は第2段落から第11段落まで。
山梨県が富士山の噴火に備えた初めての避難訓練をするということを特集として取り上げる過程が時系列に書かれている。

結論は第12段落。
ここにはそれまで述べてきた「特集」のことは全く書かれていない。

第12段落は次の通り。
「報道スタッフが感じたおどろきや疑問は、ニュース番組を作るときの大事な出発点です。こうしたおどろきや疑問にもとづいて取材を進めるうちに、答えが少しずつ見つかり、やがて、伝えたいことが決まります。報道スタッフは、それを分かりやすく伝えるために、インタビューやさつえいなどをして、材料を集めます。その中から、見ている人に知らせるねうちがあると思うことを選び、また、知って考えてほしいという願いをこめて、ニュース番組を作っているのです。」

厳密に言うとこの段落の「ニュース番組」は「特集」でなければならないだろう。
もっとも「特集」は「ニュース番組」の一部だから「ニュース番組」でもいいのだという言い方もできるかも知れない。
しかし「疑問にもとづいて取材を進めるうちに、答えが少しずつ見つかり」「伝えたいことが決ま」ってくるのは「特集」の方だろう。

結論が飛躍していると言ってもよいだろう。
この結論部の飛躍を授業した。
(「吟味読み」は秋田大学 阿部昇氏が提唱されている)

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2005.02.13

「投書記事を授業する」のまとめ

本年度何度か新聞の投稿記事を使った授業をした。
さて子供たちはこれらの授業をどう評価したか。
「国語の教科書を使った授業と新聞記事を使った授業ではどちらが意見を言いやすかった」ということで書いてもらった。
結果は27名中、24名が投書記事を使った授業。2名が国語の教科書。1名がどちらも言いにくい、というものであった。
投書記事の方が言いやすいという主な理由は次の通り。
◎教科書の文は、全く知らない昔の物語、説明文なので分かりにくいが、新聞記事の場合はニュースなどでも知っていることや身近な問題だから。(5)
◎投書記事は、本当にある話だが教科書は本当ではない話だから。
◎教科書の場合は答えがあって正解、不正解があって、自分が間違っていたらどうしよう…と思うけど、新聞の方は答えがなく自分の考えを言えばよかったから。(6)
◎この人の意見についてどう思うかだから。自分だったら…と考えられるから。(2)
◎いろいろな話題について考えられたから。
◎考える時間が多かったから。(2)
◎国語の話ではその主人公になりきりにくいから。「大造じいさんとガン」なんて、まあ自分にはあり得ないから。(2)
◎短いから。
◎いろいろな考え方が出たから。
次は、教科書の方が言いやすいと言う2人の感想。
●新聞は子供だと意味や漢字が分からない。
●教科書の授業はノートに書くが、記事の授業はプリントに書かなければならないから。

ぼくの国語の授業は、正解、不正解を意識させる授業をしていることが分かる。

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2004.11.28

投書記事を授業する④

二学期で一番おもしろかった授業という感想が多かった。11月2日実施。
投稿記事の要旨は次の通り。
「新潟中越地震があった日、ほとんどのテレビ局は緊急特別番組を報道した。その影響で楽しみにしていた通常番組が見られなかった。これはやりすぎではなかったか」というものだ。
(産経新聞10月25日付け「【談話室】新潟県中越地震 私はこう思う 通常番組が放映されず残念」)

子供たちもこの地震の緊急特別番組を見ている(影響を受けた)ので、この投稿の主張に対する意識が高かった。
「緊急特別番組ばかりになるのはやりすぎである」という投稿者に賛成の考えは、
①その地方のテレビ局やNHKみたいな局でやればよい
②小さな地震時のお知らせのように画面の上などでテロップにして知らせればよい
③和歌山は離れているのでそういうところまで特別番組をされると困る
④どのテレビ局も同じような内容ばかりを流している
というものだ。
もちろんこの考えに対して反論がなされた。それは、
①少しでも多くの情報がほしいと思う人がいる
②南海地震が心配されている。そういうときに他県の地震の様子を見ると自分たちも考えることが多い
③離れていても新潟に親戚のある人やたまたま旅行などで行っている人が和歌山にもいるかもしれない
④避難所に行った人の気持ちを考えてないから、やりすぎだ、といえるのだ。自己中心的すぎる
などである。

この記事は「緊急特別番組でキャンセルされた番組はどうなるのか」や「いつまで各局は緊急特別番組を続けるのだろうか」という問題につながる。実際「授業を終えて」という題でその疑問を書いた子がいた。5年社会科の「情報」の学習とも連携できそうだ。

こういう授業ではいつもとは違うようすを見せる子がある。
今回の授業ではA児だ。この子は誰かに反論されるとすぐに自分の考えを引っ込めてしまったりあきらめてしまったりすることが多かった。しかし今回は反論され自身の考えはどんどん後退しているが、譲歩しながらでも思うことを数回言えた。
投書記事を使った授業をして思うのは、普段の国語の授業ではそんなに発言しない子が発言することが多いことだ。それもその1時間に何回も。(もっとも、その時間限りということが多いのも事実だが。)これはなぜか。その子の問題意識にはまるからだろうか。

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2004.06.06

投書記事を授業する③

【第3時間目】5.31実施。実習生参観
最初の投書に応えた投書がある。「知ってほしい母子側の事情」(5月18日付け 読売新聞)という題がついている。
要旨は次の通り。
「当然のことです。しかし、実際問題として子供連れの外出はしんどいものがある。親にならないとわからないこともある、ということもわかってほしい」というものだ。
これをもとに授業をした。

ねらいは、「論点がずれていることに気づくことができる」である。
(または、「新たな論点が出されていることに気づく」)

わずか2段落だったので、いけるだろうと思ったのが甘かった。投書の結論部をきちんと押さえておくべきであった。
2時間目と似たような意見が多く出された。論点のずれを指摘する子の発言がなかった。
やむを得ず、後半になって修正をかけた。
『第1の投書の結論の文は?』
『第2の投書の結論の文は?』と確認した。
その後『結論部分を比べて何か言えることない?』と聞くと、ようやく「話がかみ合ってない」という考えが出され始めた。

【第4時間目】5.31実施
引き続き「話がすれ違っている」などという意見が出される。
しかし、「『当然のことです。親の仕事ですものね』と、いったんこの人も認めているのだから、話が全然かみ合ってないとは言えない」という考えも出される。
これがこの学級のよいところで、全面賛成や全面反対に終わってしまわない。
部分否定や部分賛成の考えを表明できる子がいる。(これを私がつぶさないようにしなくっちゃ~)
意見が出尽くした後、さらに3通目「子供の『無礼』は親が対応すべき」(5月23日付け 読売新聞)が載ったプリントを配る。
要旨は次の通り。
「席を譲ればとか親にならないと分からないなどという以前の問題である。子供へのしつけから考えなければらならない」というものだ。

読み終わると、なぜか拍手がおきた。
最後に「学習を終えて」という題で自分の学習をまとめた。

【反省点】
①2時間目に頑張った○○くんを3,4時間目には発言させられなかった。
②「賛成か反対か」ということで話し合いを鍛えてもらっているこの子たちに「論点のずれ」に気づかせるにはどう働きかければいいのか。

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2004.05.29

投書記事を授業する②

【第1時間目】5.27実施。実習生参観
①先生が読むので読めない漢字に読みがなを書きましょう。
①もう一度読むので、段落番号をつけましょう。
②読みましょう。(追い読み2回。一斉読み2回)
②第1段落を読みましょう。(一斉読み)
②意味の分からない言葉はありませんか。
②何となくその意味が分かるという人、どうぞ。<子供の後で意味を説明する>
②第2段落を読みましょう。<以下、同じように続く>
③登場人物を書きましょう。
③それぞれいくつくらいですか?
④なくてもいい段落は何番ですか?<時間がなかったので省く>
⑤筆者が一番言いたいのは何段落ですか?
⑤筆者が一番言いたい文はどれですか?
⑥あなたは「母親が自分が謝るのではなく、子供自身に謝らせるよう教えるべきではないでしょうか」という考えに賛成ですか反対ですか? 自分の考えを書きましょう。<15分間で原稿用紙に考えを書く>

【第2時間目】5.28実施。
実習生と6年生31人が参観した。
反対派は3人。理由は、「幼稚園児なので小さくて謝らせるのは無理だ」という。
賛成派の理由は、「自分が謝るということを知らなくなる→大人になって謝ることを知らない人間になる」「やった子が謝るべき」「なんでも『お母さん、謝ってきて』と言うようになる」「やった子が謝らないと、母親が謝っても心がこもっていない」「自分も幼稚園の時にしつけをつけられていた」「謝り方を知らなければいけない」。

人数が多い賛成の子が優勢に意見を出していたが、反対派の3人もよく反論を言った。
「私たちは、絶対に謝らせない、と言っているのじゃなくて、幼稚園の子だから今は小さすぎるから謝らせるのは無理だから反対と言っている」や「みんながいる電車の中で謝らそうと(しつけ)をせず、電車の中では母親が謝っておいて、あとで自分の家などで教える方が電車に乗ってる他の人の迷惑にならない」や「小さくて意味が分からないのに『ごめんなさい』だけ言うのは、それこそ心がこもっていないのではないか」や「大人になって謝ることを知らない人間なんていない」などなど。

嬉しかったのは国語や社会、理科などの授業ではなかなか意見が出せない○○くんが、数回、自分から考えを言えたことだ。授業後ほめると嬉しそうだった。その後の算数の時間も全然表情が違った。そしてこの日、何かと私に話しかけに来た。
彼にとってこの話題は考えやすかったのだろう。そして3人の少数派の中で頑張れたということがなんらかの自信になってほしいですね。

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投書記事を授業する①

新聞の投書欄の記事を授業に使う。そのメリットを次のように考える。
①短い
段落数が少ないので読み通すことに抵抗感が少ない。
②身近な話題
身のまわりの身近な出来事を取りあげていることが多いので考えやすい。
③刺激的
意見文なので刺激がある。賛成や反対の情がおきやすい。
④論理展開を学べる
長さの制約を受けてストレートに論理展開がされる。ときに短さ故に無理な展開が見られることもある。

ということである投書で授業をした。教育実習生が見た。
読売新聞5月9日付け。「子供に謝らせる『しつけ』は必要」という題の投書である。
要約すると次のようになる。
「母親と一緒に電車に乗ってきた幼稚園児くらいの子の足が私のひざにぶつかった。しかし母親が私に謝っただけで子供に謝らせなかった。子供自身に謝まらせるよう教えるべきではないか」という文章だ。

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2004.05.19

等号と不等号

「今日のこの一番」は算数。
2日前から続いている「式」を考えるという一環。(等号の意味を考えることになるのだけど)

次のような問題を出した。(実際はプリント刷りで表形式になっている)

正しい式はどれか? ○か×を書き、その理由も書きなさい。
ア 2
イ 2+
ウ 2+3
エ 2+3=
オ 2+3=5
カ 2+3=4
キ 2+3=4+1
ク 2+3>2+2
ケ 2+3<2+2
これがけっこう好評で、次のような感想があった。

●「式についての勉強をやるはじめは『あーあ、いややな』とさい悪な気持ちでした。でも、勉強をはじめて2,3じかんたつと『あ、おもしろいし楽しい!』という気持ちになりました。それから、こうだと思う理由がすこし考えるとすぐにパッとでてくるようになりました。『いい調子だ!』と思い自分でもうれしかった。(後略)」
●「わたしは人の前で発表するのが苦手でおとついやきのうは全然発表できなかった。もちろん発表しなかったら面白くないので『早くおわっちゃえ!』と思ってた。でも、今日はちがった。何でかしらないけど、おもしろくてどんどん発表をしたくなった。2つまちがえたけどとても楽しかった。(後略)」
●「(前略)はじめのほうはややこしかったけど、だんだん分かってきて、さい後のほうになったらクのところも分かって、理由を一つつけたした。これをしたら、はじめは2+3=5というのは式じゃないと考えていて、2+3が正しいと考えていたけど、これをしていたら、2+3を式のところに書いても○で、2+3=5と式のところに書いても○になるんじゃないかなぁと思えてきて、さい後にオのところに○を書いた。(後略)」

■3人のうち上2人の書きぶりには不満がかなりあるけど、ま、今はこんな感じ。かな。
■「=」の意味にシーソーを喩えて説明するのを忘れたのがしごく残念。←自分

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